――アメリカ、ヨーロッパでは、エレクトロクラッシュ、ディスコパンクなどの80年代ニューウェイヴ再構築型エレクトロともいえるムーヴメントがありますが、その辺りはSOYUZ PROJECTとして、どのようにお考えでしょうか?
どんどんグチャグチャになればいいと思います(笑)。とにかく最先端をいかねばならぬ、といった使命を、このジャンルは歴史的に背負ってきたと思うんです。でも今は、そのミクスチャーなサイクルが速くなり、こうお風呂の栓を抜いて、渦が起こり、その渦がどんどん速くなる、その渦の中にいるような意識があり、これはもう後戻りできない。評論家の人達や難しいこと言う人達も、やけくその事実として開き直ってみる時期ではないか。もちろん僕らは僕らなりでグチャグチャ考えちゃうんですが(笑)。
――レーベルはSOYUZ DATA FACTとなっていますが、このレーベルからSOYUZ PROJECT以外のリリースも構想としてはあるのでしょうか?
妄想段階で色々あります。でも友達少なくて人見知りするし、それ致命的だろっていう(笑)。興味ある人は音きかせてください。チェーン店募集。アイデアメニュー募集。
――お姉さんの福間未紗さんの宇宙四部作の中でアルバム『モールス』(1996年)、『フェスタ マニフェスト』(1999年)では、福間さんも参加されていますね。福間さんのエレクトロな部分とお姉さんのフォーキーな部分(ポエトリーと言った方がいいかな)が絶妙に組み合わさっている思いますが、お姉さんとは音楽的にも共有してきた部分は多いのでしょうか?
あげればキリが無いのですが、隣の姉の部屋からはいつも様々なポピュラー音楽が聞こえてきてました。YMO周辺の方々やクラフトワークなどはもちろん、フレンチやボサノバやサンバ、ディスコやファンクからシュガーベイブやユーミン、サザンやRCやオフコース等々、間接的にですが、その時々で僕の中にいい種をまいてもらったと思っています。
その後姉は上京し、僕はレコード屋さんで働き、様々な音楽に触れてきました。その10年ほど後、姉と東京で再会したのですが、姉はフォーキーな表現をしていたので驚きました。ですが、根っこの部分では共有できる部分があったのでしょうね。その結果として『フェスタ マニフェスト』が出来たわけですから。
――実は、お姉さんの日記の元読者だったんですが、2002年4月にニュー・ヨークに旅立って、日記は止まりましたが、もう帰国されたんでしょうか?
あの日記のおかげで僕は、姉を知る様々な人達から声をかけられます。名前は伏せますが、ミュージシャン、小説家、プログラマー、様々な人です。当然僕と姉の思想は違いますし、僕の責任でどうこう言える立場では無いのでいつも答えに困ってしまいます。暗殺されたのか?という人までいました(笑)が、確実に生存を確認しております。個人的には、あの日記の続きをいつか見せてくれる事をしぶとく期待しています。