いまさらイスラエル、三島さんへのインタヴュー第1回
いまさらイスラエルのカセット・アルバム『タピエス・ビューティフル』は、2001年7月にOZ DISCから突然CD化された。それまで、いまさらイスラエルの曲もその不可思議なバンド名も聞いたことが無かった。ディスク・ユニオンでそのCDを手にした僕は、「ポエトリー・テクノポップ」「テクノス(以前のバンド名)」「北海道」「女性ヴォーカル」「奇跡のCD化」などのキーワードを読み取り、購入を決意する。メンバーは流動があったようだが、CDには米田典子(Vo)、内田公彦(G、Key)、仙人(B、Cho)、江口泰史(Key)、三島健一(Key、B)の5人の名前がクレジットされている。「ふれきしペンシルヴァニア」「太陽カラパース」などのタイトルにも見られる独自の言葉感覚で作られた叙情的歌詞。繊細で感受性溢れる不思議な女性ヴォーカル。郷愁感のただようエレクトロ・アコースティックなサウンド。あ~こんなバンドが北海道にいたんだと、感慨。
その話を、友達の北大出身の吉野さん(POP ACADEMY RECORDSを運営)にすると、いまさらイスラエルのメンバーと知り合いだとの事。いつもは「エロチカ番長」とか自称してふざけている吉野さんですが、今回、吉野さんが結構まじにいまさらイスラエルのリーダーである三島さんに電子メールをやりとりした内容をインタヴュー記事として掲載します。札幌ニューウェイヴ・シーンについても両者の貴重な発言があります。
〔吉野〕 僕なんですが、 1987年に、兵庫県の高校から北大に進学、軽音楽研究会に入会しました。で、そこでの先輩が三島さんと言う訳です。僕が、北大に行った理由の一つに、宝島等で紹介されていた、当時の札幌ニューウェイヴは面白そうだったから、と言うことがあります。ですが僕が札幌に行った頃には、札幌の音楽の主流はビートパンクへ一変してました。つまり僕は札幌ニューウェイヴとはすれ違いだったんです。
さて三島さんは、1980年代、ニューウェイヴと言う音楽の春夏秋冬を札幌で体験し自身も活動にコミットされてた訳なんですが、三島さんの目から見た、当時の札幌のニューウェイヴ・シーンを、お話いただけますか?
〔三島〕 札幌駅裏八号かな。あそこで色々やってた。詩の朗読会もあった。吉増剛造に会いましたよ! 中島さんだっけ? 始めたの。お会いしたことないな。駅裏がなぜそうなのか、よくわかりません。誰かキーパーソンいたんだろな。いまさらも四回か出ました。PAは今とは比べられないけど、(北大)軽音のバンド忘れてました。
江口さんの「れもん」!「アニミズム」!ニューウェイヴのお手本みたいでした。江口さんの曲は素晴らしいですね。(北大)文芸部の「ぎよ」別冊に歌詞は載せましたけど音源は作らなかったか、発表してないですね。聴いたことあります? 江口さんは才能ありますね。軽音ニューウェイブの筆頭でしょう。
江口さん、今は家でウクレレかな。神山君のリンクスもよかったですね。美恵さんのぎんがみと藤絵さんのなんだっけ?藤絵さんはイギリスでデビューしましたよね。知ってますか?何だったかな。吉野さんの音は聴かなかったかな。残念です。80年代前半、札幌ニューウェイヴ、誰かなー。なんか寂しい思い出!しかないなー。フールズメイトで認められたのはいい方でしたよね。
音もそうだけど、歌詞聴くとすぐに底が透けますね。そういう意味でシチュエーションズとれもんは素晴らしかったです。オリジナルな才能があったと思います。ホントに殆ど知られていないウルトラマイナーだなー。寒いね。どんなバンド好きだったんですか? どんな音やってたのかな。それより今のMANIAX#2買って聴こうかな。まだあるんですか?