〔吉野〕 三島さんは、音楽だけでなくいろんな形式で創作を表現することについて、如何に御考えですか?
〔三島〕 まあなんでもやればいいってことじゃないですね。やらずにはいられないような何かですね。余裕あって遊んでるみたいなものに何かがあるってことは少ないと思います。作品自体にそんなのが出てたら話にならないけど。そしてギリギリでやっても駄目なことのほうが多いでしょう。誰が、とか趣味みたいなもの、を超えたポイントブランクななにかは、半分は見たり聴いたりする人が作るんでしょうけど、なかなかですね。まあ作らずにはいられないんだろうな。
作者をこえて、生まれずにはいられない作品それ自体の存在。製作者は媒介ですね。だから話聴いても、聴いても駄目だってことがわかるという点で興味深いです。特に天然系の人は。でも吉田一穂でも同じ こと何べんも言ってるよね。何回も聞かれたからなんだろうけど、聞いてる方はまるでわかってないって感じが多いですね。話それたかな。
私は北海道を出たことがないので、なかなか他と比べるのは難しいんです。だから札幌の当時をうまく語れないのかな。(アルフォンヌの)小磯君なんかは東京でレーベルもやってたから見えてるところが多いと思いますね。あまり期待にそえないのが申し訳ないですね。
〔吉野〕 吉本ばななだったでしょうか?「作家と言うのは、自分が遭遇した出来事、自分が食べた食べ物、自分を取り巻く環境を、文章に変換するインターフェイス」と言う主旨を発言されてて、非常に共感できるのです。
〔三島〕 そのインターフェイスがつまり媒介ということですね。「自分が遭遇した出来事、自分が食べた食べ物、自分を取り巻く環境」というのはいかにも吉本らしくてつまらないなと思いますけどね。そんなもの媒介して何が嬉しいのかと思ってしまいます。私は早くにブルトンを読んでいたので、「何とか侯爵夫人は何時に起きて何をした。」のような一行は絶対書かないつもりでした。ジョン・レノンも媒介については同様の発言をしていたと思います。別に自分が作っているわけではなくて、音楽に導かれて書いているのだとか。自分はアンテナなんだとかなんとか。
〔吉野〕 では、媒介と言う事で、『タピエス』制作当時、三島さんが影響を受けていたもの--それは、音楽に限らず、文芸、絵画から、どんなつまらない物まで---それを列記して頂けませんか?
〔三島〕 音楽でいえば、ジョイ・ディビジョンからニューオーダーのファクトリー・レーベルはよく聴いていました。ドルッティコラムとね。マーチン・ハネットの録音をなぞろうとしていたと思います。あとシド・バレットですね。あのソロアルバムの詩の世界というか曲や録音も含めて存在感みたいなもの。天才としかいいようがないですね。真似しようとしたわけではないんですが。
そしてそれらの要素を原田知世や薬師丸ひろ子みたいな角川系の音というかヴォーカルで実現しようとしたところが結構斬新だと我ながら思ってました。原田知世の16歳17歳のバースデイアルバム、特に松任谷由美の作った「ダンデライオン」は好きでした。薬師丸ひろ子は「探偵物語」かな。大滝詠一の担当した。ああいう少女趣味の静謐で純粋な世界を自分も実現したいと思いました。
文芸は瀧口修造ですね。今も小説とか散文にはあまり興味がないですが、一般に詩といわれているものでも、行わけした散文が多いと思います。言葉の使い方、そのコンセプトですね。簡単にいえば「花を描写するのではなく、言葉で花を咲かせるのだ。」みたいなことですね。自分の用いている方法を意識して、その前提となっていることを最初から全部意識的に作っていくみたいな。だから単語や統語法もオリジナルです。音楽でいえば時空間を越えた楽曲の力、音源の力ですね。詩人といわれる人達でも言葉でこれが出来る人は限られていると思います。日本語での筆頭は瀧口でしょう。
ポップミュージックの世界でそんなことを志す人は殆どいないと思いますね。あったとしても知らないうちに実現しているワンフレーズくらいかな。はっぴいえんどはいい線いってると思いますけどね。でも多分そんな意識はあまりなかったと感じますね。絵画ではデュシャンとか荒川修作かな。当時はあまり理解していなかったですけどね。殆どはフランス語の大平先生に教えて頂いたものなんです。詩とか美術方面は。タピエスはそんなに注目していたわけではないですね。多分語感がいいので持って来ただけですね。