――おもしろい、おもしろくないという反響はどのように得るのですか?
基本的には、自分の周りの人にテープを配っての反応以外に、手応えは自分達しかないですよね。録音終わったら、伊武ちゃんは、先ず聴かないし、克也さんもたぶんあまり聴いてないでしょ。演技する人ってそうなんですよ。映画でもそうですよね。自分の出た映画は、見ないとか、平気じゃないですか。だから簡単に作ろうとしたら、簡単に作れたかも知れない。余計な事しないで、TBSにも怒られないですんだかもしれないんですよ(笑)。
でもやっぱり、周りの観客というのは、どんどんどんどん、成長しているものを聴かされている訳だから、前おもしろくて、次おもしろくなかったら、おもしろくないって言いますよね。大変なんですよ、だから。細野さんみたいな、周りの人達におもしろいと思って欲しいという気持ちで作っているから、妥協が出来ないというか。そこが、当時のやりがいというか。
――実際、量産されていたのは、ラジオの時ですよね。で、アルバムを作られた時は、ラジオで作られたものを土台として、厳選したという事なんでしょうか?
『戦争反対!』のアルバムまでは、それまで作ったものの中で、自分が納得できるというものを選んだつもりです。たくさん作ったかも知れないけど、自分の中では『戦争反対!』を作るまでのプロセスだと思っていたんですけど…。でも、それは、自分の偉そうな言い方で、克也さんにしても、伊武ちゃんにしても、紹介してないものも、今までに作った大事な作品じゃないですか。
皆さんのお陰で作れたんだけど、自分が責任者でやっていたんで、皆さんは、ふざんけんなと思っていたかもしれないんだけど、納得できないものは出したくないというのがありましたね。
――小林克也さんが、参加しなくなったのは、『南海の秘宝』の辺りですかね。
そうですね、もう、あの辺は番組終了後でしたからね。
――3人が参加していたものは、ラジオからのねたを引っ張ってきたもので、それ以降の伊武さんと2人でやられていたのは、どちらかというと、新しいものなんですかね。
伊武ちゃんとは、なんだかんだで、遊び仲間になっていったんですね。伊武ちゃんとは、年も近かったから、克也さんとは、10歳も違うんで。そういう事も、ありますよね。伊武ちゃんも僕等のカルチャーにとても興味があったので、ファンションのセンスにしても、海外の事にしても、僕等を通して興味をもってくれたというのもあるでしょうし。
第4回『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』へと続きます。
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