――スネークマン・ショーのネタに「はい、菊地です。」とかのその手のネタが出てくるのは、ちょっと関係ありなんですよね。
ありますね。「Rolling Stone」をやっていた3年間に、いわゆるドラッグ・カルチャーの洗礼を受けましたからね。でも、当時のカウンター・カルチャーの真髄そのものは、あまり理解できていなかったと思いますね。若かったしアメリカのカウンターカルチャーに触れるような環境もなかったですからね。
しかも英語に関しても、全く駄目だったんですね。高校生の時から働かなければならない、もともと教育を受ける環境に育ってないので、当然アメリカのカルチャーに触れるような環境にも…。ですから、「Rolling Stone」なんかは、今読んだほうがよっぽど面白いですね。
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9・11以降、『非戦』生み出したMLグループsuspeaceに坂本龍一さんから声がかかり、この年になってやっとクリアに世界が分かってきた気がします。あの当時は、アメリカに対してあこがれがあり、音楽は好きで好きで、でも、実際に、真髄の部分に関しては、「?」だったというか、頭でっかちだったんですね。
その反動が、スネークマン・ショーに出たということなんですね。やっぱり、あまりにも自分には難しすぎた。背伸びして一生懸命やっていたことに対してのフラストレーションやコンプレックスを、ストレートに表現したかったというのがスネークマン・ショーの根底にあったと思います。
ただ、ラジオの番組を作ると言う事に関しては、全くの素人でしたからね(お店で日大の放送研究会の連中と糸井五郎風DJのまねごとはやっていた)。それまでにBIGIなどのファッション・ショーの音楽の選曲をしていたので、ある時に、克也さんにウルフマン・ジャックのまねをしてもらったのが一緒にはじめるきっかけだったと思います。
そういう事をいっしょに楽しんでいた事がベースにあって、ラジオ番組がやれるようになった時に、番組をどう作っていくかを、克也さんに色々教えていただいたんです。最初は、見よう見まねで、かけたい音楽を選んできて、こんな風にかけたい、あんな風にかけたいという実験をやっていく内に出来てきたのが曲と曲の間のジングルで、それを面白くしようと言う所から発展してきたのが、コントというかお笑いと呼ばれるものになっていったんです。
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――ウルフマン・ジャック(写真は『Wolfman Jack: Let's Cruise, Vol. 1』&『Wolfman Jack: Let's Cruise, Vol. 2』)自体は、ギャグというわけじゃないですよね。
なんにもギャグじゃないですね、あの人は。あの人の声のインパクトというか、想像力ですね。こんな声の人って、一体どんな人なんだろう? それが、『アメリカン・グラフィティ』なんかで非常にロマンチックに描かれているわけですね。そういう世界観が、克也さんのキャラクターを持ってすれば、できるんではないかというのがあったんで、わりとストレートに「ウルフマン・ジャックのものまねをしてください。」とお願いをしたんです。
かける曲の構成に関しては、最初の頃は、音楽業界に関しての先輩の克也さんの情報から選曲したり、自分は少し遠慮がちに主張して(笑)、でも、だんだん、ディレクターって何人もいたら番組が作れないので、最終的には多少の軋轢があっても自分でやらしてもらえるようになったんです。