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インナーゲーム オブ ジャズ Part2(2ページ目)

30年前に一大センセーションを巻き起こし、今また「コーチングブーム」の中で再評価が始まっている「インナーゲーム」理論をジャズに生かす連続記事。第2回はちょっと難しい理論編。

執筆者:鳥居 直介

ゾーンに入る

と、弱気なことを述べてみたが、実は「セルフ1を黙らせ、セルフ2の好きにさせる」インナーゲームの基本原理の有効性については、それを示唆する傍証はさまざまな分野でたくさん確認することができる。

一流スポーツ選手の多くが、普段の練習や試合とは明らかに違う、高パフォーマンス、高集中状態に入った経験を「ゾーン(zone)に入る」あるいは「フロー(flow)状態」と表現していることをご存知だろうか。NBAのマイケル・ジョーダンしかり、サッカーのマラドーナしかり、彼らが歴史的なハイパフォーマンスをコート上で顕現させているとき、セルフ1の「ああしろ、こうしろ」という命令はほとんどなく、身体(セルフ2)が勝手に動いたことを証言している。彼らはセルフ1の意識的な命令を行わずに、というよりむしろ、それを行わないことによって、技術的に高いレベルのプレーを実現させているのだ。

楽器演奏でも、自然な演奏というのは、身体になじんだ、自然なものであるはずだ。よく「歌うような演奏」ということが言われるが、意識的な、セルフ1よりの演奏というのはどうしても不自然で、ぎこちなく、エネルギーの失われたものになりがちである。

ジプシーやアフリカ、あるいはアジアのストリートでの演奏を思い起こしてみよう。彼らの演奏はエネルギッシュそのものだが、その技術が稚拙というわけではない。不世出のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトはジプシー出身だが、そのテクニックは当代随一といわれた。

セルフ1を黙らせ、セルフ2のエネルギーをリミッターなしで爆発させることは、人の心を動かす演奏には必須のものといえるだろう。実際、多くのミュージシャンが演奏中は「モードが変わり」「時間の流れが変わる(あるいは変える)」ことを強調している。

無意識的なエネルギーの爆発は、テクニカルなコントロールと両立しうるのだ。そのことは、一流スポーツ選手でも、ストリートミュージシャンでも同じである。

意識せずに学習は成立するのか?

「無意識的な演奏がすばらしい、ということは理解できる。しかし学習はどうだ? 学びのプロセスは無意識というわけにはいかない。セルフ2をセルフ1の統制下に置くことは、楽器訓練そのものじゃないか」

確かに、楽器演奏の習熟ということを考えた場合、果たしてセルフ1を黙らせて、セルフ2の好きにさせることで、学習が成立するのか? という強い疑問を多くの人が抱くことだろう。楽器は人間が作った道具であり、演奏技術を学ぶことは、たとえば鳥が空を飛ぶことを覚えるように自然なプロセスというわけにはいかないだろうと、普通はそう考える。その学習にはどうしたって、セルフ1の介在が必要に見える。

しかし、そもそもインナーゲームはテニス学習の場で発見され、育てられたものだ。ラケットでネットを越えるようにボールを打ち返すという行為のどこにも、「動物としての必然性」はない。それは、意識しなければどうにもコントロールできない類の技術に思える。しかし、インナーゲームは、テニスの学習スピードと到達度を飛躍的に高める、という結果を出しているのだ。

なぜそんなことが起きるのか? 先にも述べたように、最終的には「自分でやって、判断してもらう」以外に答えはない。ただ、仮説として、私は次ページのように考えている。

次ページでは、意識以前の情報処理について考える


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