ジャズ/ジャズ関連情報

ジャズはアートか 『汎音楽論集』を読む(2ページ目)

ギタリスト・高柳昌行生前の貴重な発言を集めた『汎音楽論集』が昨年出版された。ジャズはアートなのか? アートだとすれば、どのようなジャズがアートなのか。いまさらながらの問いが掘り起こされる。

執筆者:鳥居 直介

「ジャズはアートであるべきだ」

本書における高柳の主張を要約すると以下のようなものとなる。

・音楽は個人の思想を表現するための手段である。
・それゆえ、音楽家には表現手段を磨くという意味での楽器の修練はもちろん、ありとあらゆる音楽に対する分析、理解のための絶え間ない努力が求められる。
・さらに、聴衆・批評家にも、音楽家と同レベルでの、音楽理解への絶え間ない努力が求められる。

この時点で、「ついていけない」と感じる人も多いだろう。私だって似たかよったかである。しかし私は、こういった高柳の極端な主張が、

・ジャズを含めた「音楽」とは、アートであるべきであり、エンターテイメントであるべきではない

という、確信に基づいているということに気がついたとき「なるほどなあ」と感心した。これは過激な主張である。音楽はアートであり、同時にエンターテイメントである。そんなことは当然のことだと思っていた。しかし、少なくとも50年さかのぼれば、そうじゃない、と考えていた人はいたわけである。エンターテイメント性が音楽のアート性を損なうことは往々にしてある。そのことを極度に嫌う人々がいたことに、何の不思議もないではないか。

私はどちらかといえば「エンターテイメントがなくて何がジャズだ」と思っている人間だし、本ガイドサイトもそういう趣旨で運営してきた。しかし、この高柳の「確信」に触れてみて初めて、「ジャズとはアートであるべきで、エンターテイメントであるべきではない」という主張も「アリ」なんじゃないか、ということを考えるようになった。

別に宗旨変えをしたわけではない。端的に、これらの発言に触れ、少なからずショックを受けたということを告白したいだけだ。誤解を恐れずにいうなら、これほど率直で素直な音楽論に、これまで触れることがなかった自分を取り囲む環境とは何なのか、という疑念を抱いたのだ。「音楽とはアートであり、エンターテイメントではない」といった論くらい、誰かがのたまっていてもおかしくないではないか。しかし少なくとも私は今まで、ここまでストレートな意見を聞いたことがなかった。

次ページでは、高柳に触発されての「アートとして音楽」論を展開してみます


  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます