マイルス・デイビス、ビル・エバンス(ピアノ)、ジョン・コルトレーン(サックス)らによって50年代の終わりに提唱されたモードは、その後のジャズの道標。現代にも脈々と受け継がれている60年代のジャズをまとめてみたい。 Vol.1を読む
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マイルスらによって提唱されたモード・ジャズは、1959年『カインド・オブ・ブルー』(マイルス・デイビス)によってベールを脱ぐ。モードとは、和音(コード)上に当てはめることのできる音階(スケール)を設定し、それを基に即興演奏を行う演奏手法のことである。オーソドックスな例としては、Amのコード上でその並行調Cメジャーのスケールを演奏するのではなく、Gメジャーのスケールを基にする。このドリアン・モードと呼ばれるスケールを使った手法はジョン・コルトレーン、マッコイ・タイナー(ピアノ)らの演奏が代表的で、更にそのスケールを基にコードを組み立て、旋律と和音が渾然一体となってゆくのが特徴的だ。通常、一つのコードだけで演奏される、いわゆる“一発もの”をモードと呼ぶケースが多い。
ここでジャズ界に現れたのがオーネット・コールマン(サックス)、そう、フリー・ジャズの登場である。ミュージシャンのスピリットをより自由に表現しようとするフリー・ジャズは、ベトナム戦争や人種差別などに対する怒りの表れとも言えよう。ジョン・コルトレーンもフリー・ジャズで大きな足跡を残した一人だ。コルトレーンの場合、自由なモードをより自由に表現したアプローチのように感じるが、そのスピリチュアルな演奏は、まぎれもなくフリー・ジャズの表現法である。
怒涛のフリー・ジャズブームにさすがのマイルスも影響を受け始める。名作『ライブ・アット・ザ・プラグドニッケル』は、当時メンバーだったトニー・ウィリアムス(ドラム)、ウェイン・ショーター(サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)によって持ち込まれたフリーの要素が、バンドをより自由に、そして過激に進化させた結果である。しかしマイルスバンドは、手法としてフリーを取り入れたのであって、モードの延長上にある、どこか洗練された演奏スタイルは、フリー・ジャズとは区別されたものとなっている。
時を同じくして、ジャズ界にブラジルから新しい息吹が訪れる。ボサノバだ。親しみやすいメロディ、洗練されたハーモニー、軽快なリズムで注目されたアントニオ・カルロス・ジョビン(ボーカル・ピアノ)やアストラッド・ジルベルト(ボーカル)などのボサノバミュージシャンと、スタン・ゲッツ(サックス)、チャーリー・バード(ギター)らジャズミュージシャンとのコラボレーションは、ボサノバの名を世界に知らしめることになる。
変化し続ける男、マイルス・デイビスが次に行ったことは、ファンクミュージックとの融合であった。1969年に問題作『イン・ア・サイレントウェイ』『ビッチェズ・ブリュー』を相次いで録音。このマイルスの問いかけに対して、70年以降、様々なミュージシャンが答え続けることになる。
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