ニューオリンズで産声をあげたジャズは、シカゴ、カンサスシティを北上し、いよいよニューヨークへとたどりつく。そこで生まれたビバップは、その後全てのジャズミュージシャンに影響することとなる。ビバップの誕生から、マイルス・デイビスがエレクトリックに移行するまでの期間をモダンジャズと定義し、その歴史をふりかえりたい。 Vol.1を読む
時は1940年代、場所はニューヨーク。ベニー・グッドマンによるカーネギーホール公演の熱気冷めやらぬジャズ界に、ひそかに、とてつもない異変が起ころうとしていた。ダンスバンドに雇われていたジャズ・ミュージシャンたちは演奏がはけた後、帰路に着くものや遊びに行くものもあったが、楽器を持って深夜のジャムセッションに向かうものも少なくはなかった。そこでは、譜面に書かれたアレンジを演奏するのではなく、曲をモチーフとしてとらえ、そのコード進行を基に即興演奏を繰り広げるというものだった。
そしてチャーリー・パーカー(サックス)、ディジー・ガレスピー(トランペット)、バド・パウエル(ピアノ)などによって完成されたのが、ビバップである。なかでもパーカーの出現は奇跡としか言いようがない。ビバップがジャズをテクニック的に追求したものならば、パーカーはその短い生涯でそれを完成させたと言っても過言ではない。
マイルス、ビバップに心を動かされ、ハイスクールを卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院に入学。しかし授業は受けず、毎晩ジャズクラブに入り浸る。そしてついにパーカーのバンドに抜擢…しかし現実はきびしいもので、ドラッグ漬のパーカーとは衝突がたえなかったらしい。
独立後のマイルスは、アレンジャーにギル・エバンス、ジョン・ルイスらを向え9重奏団でレコーディング(後にLP『クールの誕生』に収録)を行う。がむしゃらなアドリブ合戦のビバップとは異なり、メロディアスで空間を活かした文字通りクールな演奏は、白人ミュージシャンたちが台頭するクール・ジャズ、ウェスト・コースト・ジャズへと受け継がれていく。
現在聴くことのできるビバップ時代の演奏は一曲3~4分と非常に短い。これは当時のSPというメディアによって束縛された結果であった。1950年代に入ると、LPの普及によりビバッパーたちの表現力は一気に開放される。こうして生まれたのがハード・バップだ。ミュージシャン全ての個性が反映されているハード・バップ期のジャズは、トランペットのマイルス・デイビス、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、サックスのジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ピアノのセロニアス・モンク、ドラムのアート・ブレイキーらを中心にジャズを成熟したものにする。ちなみにジャズのいわゆる名盤、貴重盤はこの時代のものに集中している。
1959年に録音されたマイルスの『カインド・オブ・ブルー』は、モード・ジャズの原点とされる。一つの和音に対して様々な手法でアプローチするモードは、60年代以降のジャズの道標に・・・