権四郎と樋口、梶原景時と樋口
梶原景時一家の悲劇や、その息子・源太と彼を助ける腰元・千鳥との悲恋など、別筋のドラマと、この木曽義仲の筋とがからむ長い浄瑠璃を基に、歌舞伎化された義太夫狂言だ。
以下、筆者の独断的見どころのご紹介を。
義仲の忠臣の一人、樋口次郎兼光は、船頭権四郎の婿に身をやつし、義仲の遺子・駒若丸を救うが、自動的に身替りとなってしまった槌松の件を聞かされたときの権四郎たちが哀れで堪らない。
ここでは、駒若丸の命>槌松の命 という式がごく当然のこととしてある。だがそれならことさら人形浄瑠璃やら歌舞伎にならないだろう。多かれ少なかれ、「身分の違いで今まで随分不条理な思いをしてきたぞ」という、当時の見物の切ない共感を呼ぶからこそ、浄瑠璃として、歌舞伎として人気を得てきたのだろう。
「せっかく人様の息子を育てていたのも、自分の孫がかわいいから。生きていないなら、こいつも首にしてやる(首を打ってやる)!」という権四郎の怒りはもっともなことなのだ。もちろん駒若丸に罪はないのだが。