思い出の初舞台からの写真も展示。 |
そんなこんなで、十八代目中村勘三郎の襲名披露興行の初日、2日目が過ぎた。つくづく新・勘三郎は人を惹き付ける才能に溢れていると思う。今回の七之助の事件にしても、襲名直前の不孝・不幸な事件とはいえ、メディアを通して新・勘三郎は父としての苦渋の姿を何度も日本中にさらした。さらさずにはおれなかったのだろう。その結果、非難も浴びたろうし、絶望の淵にも立ったのだろう。息子のために悩み苦しみ、一旦は切り捨て、そしてすべてを受け入れて襲名の舞台へ現れた。
そして、この過程をメディアを通して視ていた私たちは、新・勘三郎にどこかで共感し、そして共に体験し、共に奈落へ陥り、共に悩み、共に考えて結論を出し、そして初日の歌舞伎座へ共にやってきた、そんなシンクロ気分を味わったのではないだろうか。
少なくとも筆者は、初日、東銀座駅の長い階段を上がり、やっと地上へ出、晴天の中に歌舞伎座に下がった卵色の垂れ幕を目にしたときにそんな風に感じてしまった。
「ああ、そうか。だから勘九郎に、皆惹きつけられるのだ」と。
共感・シンクロ。これこそ、新・勘三郎の芝居にも共通する感覚だ。勘九郎から新・勘三郎へと変わり、この感覚が変わるのか変わらないのか。変わるとしたらどのように? ・・・実はそれが筆者は一番楽しみなのだ。
4月にはおそらく七之助の顔も揃うだろう。勘三郎親子が揃った舞台を早く観たい!と思うのは筆者だけではないはず。