ご存知『勧進帳』は現在最も多く上演される演目の一つです。能の『安宅』(あたか)を拠っているものであることはよく知られています。そのため「またかの関」などと言われることも。比較してみると、能より歌舞伎らしく、華やかにドラマチックに描かれています。ドラマとしても見応え十分なのに音楽も魅力たっぷり。長唄『勧進帳』という音曲の美しさ、心揺さぶる音楽性が特長です。邦楽を聞きなれない私達にとっても、「なんかカッコイイぞー」と感じさせてくれると同時に、「なんか面白いことが起こりそうだ」とゾクゾクさせてくれる絶大な効果を持っています。
さて、『勧進帳』。観れば誰でもたいてい分かる面白いストーリーです。ところどころ「仏教用語か?」と思わせる聞きなれない言葉も出てきますが、観ていくうちにそんなことどうでもよくなるほど(?)良くできた、かつ分かりやすいドラマです。
ですが、富樫と義経と弁慶のこの三人についてはそれぞれ最初の台詞が重要な(他の台詞が重要でないわけではないですが)ポイントを含んでいます。それぞれの置かれた立場、現状、これからどうするかということがコンパクトに説明されているからです。
というわけで、観劇の際、より深く楽しむためのちょっとしたポイントとして、実際に冒頭の部分の三人の台詞を追ってみたいと思います。
最初に登場するのは下手より富樫左衛門と軍兵三人。富樫と軍兵たちのやりとりあって、花道を源義経、四天王と呼ばれる一行と武蔵坊弁慶。ここでメインの゛御三方”が揃います。
富樫 いかにものどもあるか。
軍兵 御前に候。
(この二行は言われないケースが多い)
富樫 かように申すものは、加賀の国の住人富樫の左衛門にて候。さても、頼朝義経御仲不和となりたもうにより、判官殿主従、作り山伏となり、陸奥へ下向のよし、鎌倉殿きこし召し及ばれ、国々に新関を立てて、山伏をかたく詮議せよとの厳命によって、それがし、この関を相守る。方々、さよう心得てよかろう。
富樫は頼朝から命を受けて作られたばかりの安宅の関を護る加賀の国の役人です。とにかく山伏を見付けたら必ず厳しくチェックせよ、と頼朝に命じられているようです。さらにその命を軍兵にも命じます。当然ですが、富樫個人の必要に迫られて山伏を詮議するわけではなく、あくまでも彼の任務であり、責務であり、仕事です。これが強調されています。
三人の軍兵が「仰せの如く」と答え、富樫の命を受けます。