歌舞伎/歌舞伎関連情報

白浪ものといえば河竹黙阿弥

「月も朧に白魚の……」「しらざあ言って聞かせやしょう」でおなじみ、七五調の名台詞といえばこの人、河竹黙阿弥です。幕末から明治期の、生世話物を得意とした狂言作者です。

執筆者:五十川 晶子

黙阿弥という作者



河竹黙阿弥は、主に幕末から明治期にかけて活躍したの歌舞伎作者で、名人といわれた役者・市川小団次と提携し「白浪物」を多く書き、白浪作者とも呼ばれたました。特に生世話物を得意とし、音楽的な台詞、情緒的な世界の描写に特徴があります。現在歌舞伎座などにかかる演目のうち、黙阿弥のものは実は意外に多いのです。

ご存知のとおり、幕末の不平等条約改正に必死だった明治政府は、少しでも当時の列強諸国にたいしていい顔しようと、「歌舞伎の洋風化」を提唱しました。これがいわゆる演劇改良政策です。政府は演劇改良会を作り、興行内容にいちいち横槍を入れてきます。黙阿弥は元より江戸生粋の狂言作者。歴史を正式に勉強しているわけもなく、厳密な時代考証などの横槍に限界を感じ引退します。

黙阿弥の主な作品といえば、「三人吉三廓初買」「青砥稿花紅彩画」「蔦紅葉宇都谷峠」「御所五郎蔵」がありますが、明治初期には、史実を重視した、重厚だけどあまりお客の入りにはつながらなかった(難しくてつまらなかった?)演目もずいぶんあります。これが「活歴」もので、主に九代目市川団十郎にあてて書かれました。

もう一つ、当時の風俗を写した「散切り」ものは、五代目尾上菊五郎にあててかかれました。いろいろな試みをしてみた結果、やはり江戸を描写した生世話物が、本人も得意だし、お客も喜んだようです。いずれにしろ、文字通り、幕末から明治の歌舞伎を支えた立作者でした。

黙阿弥は、プロフェッショナル中のプロフェッショナルでした。さまざまなレベルでの制約はあるにしても、いつでも狂言作者として「三親(深)切」を信条としました。すなわち「役者に親切、客に親切、座元に親切」で、役者のニンを生かし魅力を発揮できる狂言を書けば客は喜び大入りとなり、興行主が喜ぶという意です。つまり作者自身が興行の成功を下から支えるという意識と自信の表れです。

メインの役者は洗練された七五調の台詞を歌いあげるように語り、演劇的なクライマックスよりも、役者の声、姿などの魅力が放出する刹那を拡大させる方向を、黙阿弥は志向しました。当時の客は、眼と耳で役者の生きる舞台上の刹那をともに拡大し味わい、情緒的な浄瑠璃や俳諧のような台詞を一人で後に反芻したのでしょう。演劇の「時間」の概念を意識したドラマツルギーとも言えます。

川端で事件が起こり発端へ
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