3月29日、歌舞伎興行を一手に引きうける松竹から、今後2005年までの襲名計画が発表されました。松緑(しょうろく)、海老蔵(えびぞう)、勘三郎(かんざぶろう)、坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)らが続々と登場します。まずはその予定をざっと追ってみます。
2001年――先陣を切って坂東八十助が十代目坂東三津五郎襲名。
2002年5月頃――現・尾上辰之助が四代目尾上松緑を襲名。
辰之助のおじいさんにあたる尾上松緑の名前は、辰之助の父、早世した先代の辰之助に三代目が追贈されることになります。現・辰之助は先日、鎌倉に眠る父の墓前に松竹・永山会長と訪れ、襲名の予定を報告したそうです。
先代辰之助といえば、ギラリと光る眼がおっそろしくかっこいい斧定九郎(忠臣蔵五段目)を思い出します。「きっと彼は松緑という名前を継ぎたかったと思いまして」という永山会長の言葉でしたが、若くして亡くなったということもあり、あの風貌と芸風は「辰之助」という名前の方が似つかわしいという感を抱いたりなんかします。第一、現・辰之助クン、「松緑」という名前はちょいと若すぎて重たそう……。
さて2003年――1603年に京都四条河原で歌舞伎踊りを踊った出雲の阿国の登場以来400年目。この年を「歌舞伎400年」と位置付け1年を通してさまざまな興行が組まれる予定です。
九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎没後100年、また戦前から戦後にかけて六代目菊五郎とともに活躍した名優・初代中村吉右衛門の50回忌、近松門左衛門生誕350年、河竹黙阿弥没後110年とイベントが並びます。具体的な興行内容は未定。幹部役者達の初役が次々見られるかもしれませんね。
2004年の團菊祭(だんきくさい)のころ 現・市川新之助が十一代目市川海老蔵を襲名。横顔などが「おじいさん(十一代目團十郎)そっくり!」と言われる新之助。「海老様!」という掛け声がこの5月の團菊祭で聞こえてきそうです。
そして目玉は2005年。コクーン歌舞伎や平成中村座、テレビや他の舞台でも大活躍の中村勘九郎が十八代目中村勘三郎を襲名。永山会長によれば、勘九郎がこの話を聞いて曰く「永山さん、ばかに襲名が続いちゃって、他の人みんないやになっちゃうんじゃないの?」と言ったとか。
さらになんと、1774年に三代目没後継承されていなかった坂田藤十郎という上方和事(かみがた・わごと)のビッグネームを、中村鴈治郎(なかむらがんじろう)が襲名します。
これは鴈治郎悲願の襲名。鴈治郎は現在の澤村藤十郎が「藤十郎」と名のったとき、「なぜ藤十郎という名前を!?」と永山会長に問いただしたということがありました。それ以来坂田藤十郎という名前を念頭に、近松座など関西の歌舞伎を支えてきたといっても過言ではないでしょう。新・坂田藤十郎の屋号は山城屋(やましろや)、紋どころは星梅鉢(ほしうめばち)という予定。
同時に、四代目中村鴈治郎を長男の中村翫雀(かんじゃく)が襲名。これを機に、翫雀は大阪へ居を移し活動の拠点を関西へとシフトするようです。ご存知の通り、鴈治郎の配偶者は扇千景・国土交通省大臣。