そして、85年にはジャニーズ正統派の系譜を受け継ぐ少年隊(錦織一清・植草克秀・東山紀之)が登場する。少年隊は歌、ダンス、ドラマ、ミュージカルと「魅せるアイドル」としての実力を持っていた。代表曲に「君だけに」「ストライプブルー」「バラードのように眠れ」など。また86年から続けるミュージカル『PLAYZONE』は600回以上の公演を達成。現在も当時のファンを中心に根強い人気がある。紅白は「仮面舞踏会」を皮切りに8回出場、SMAPの10回出場に続く出場回数を誇る。
87年以降からはさらにユニットが多発し、それぞれが一定の人気を得るいわばジャニーズ戦国時代。男闘呼組(高橋一也・岡本健一・成田昭次・遠藤直人・土田一徳・前田耕陽)は、本格的なロックバンド的ユニットとなり、紅白歌合戦にも出場し、日本レコード大賞最優秀新人賞、ゴールデンアロー賞音楽・新人賞、など多数。ヒット曲「DAYBREAK」「TIMEZONE」など各人が楽器を扱う本格的ロック派バンドで、各人が楽器をこなし、現在のTOKIOのルーツにあたるユニットであったといえるかもしれない。紅白出場も果たした忍者、野口隆史(反町隆史)や城嶋茂、山口達也、国分太一なども参加していた平家派なども現れる。
そんなグループ乱立の中、光GENJI(内海光司・大沢樹生・諸星和己・佐藤寛之・佐
藤敦啓・赤坂晃・山本淳一)は、人気を爆発させ、現代ジャニーズの原型を作った。特に諸星和巳の明るい個性が強力に光GENJIを引っ張りメディアへの露出も際立ち始める。ミュージカル「スターライトエキスプレス」を手本にローラースケートと歌という新たな試みとなったこのユニットの人気は大爆発。
歌、コンサート、ドラマ、バラエティと強い個性を発揮。デビュー曲「STARRIGHT」から「荒野のメガロポリス」まで初登場第1位、会員数、ファングッズなども爆発的な勢いで増加。当時の人気はものすごいもので、スナップ写真、雑誌の切り抜き、下敷き、など学校内には溢れんばかりのグッズ。現在のテレビ界最強グループ「SMAP」も光GENJIの弟分的な存在として活躍し始めることになる。
80年代のジャニーズの躍進は、間違いなく90年代のジャニーズへとつながって行く。70年代以前のジャニーズは、まだ継承されるべき形がなかったが、80年代初頭の「たのきん」からのジャニーズは、タレントの売り出し方やメディアへの露出などを進化させながらも継承させるべき部分を確立した。中心となる人気グループが成立すると必ず、次世代のタレントを養成してゆく。この「継承」が大きなポイントだ。他のプロダクションにはなかなか見られないこの戦略が、現在の確固たる地位を作り上げた。
もちろん、このジャニーズの地位を築くまでの間の節目においては、盛衰を左右するポイントがあり、それらのポイントで郷ひろみ、たのきん、少年隊と爆発的な人気を持つグループがうまい具合に出現し、栄華を掴み“ジャニーズ”が継承されてゆく。光GENJIはそれらの集積と時代の背景によって誕生してジャニーズ集大成としての地位を築き上げることとなる。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。