逸材が集まった、壹番館洋服店時代
Vick tailor(ヴィックテーラー)の近藤卓也氏。ボクもいつかはクラシックなスーツを仕立ててもらいたいです。 |
ちなみにメンファは仕立て職人を養成する学校ではなかった。ボクが通っていた’86年~’88年の授業では、神田にあるテーラー石井の石井正幸先生が縫製を教えてくれたり、製図の時間もたっぷりあった。
しかし卒業生の多くはデザイナーかパタンナー志望で、ときどき販売スタッフやプレスになる人もいたが、当時テーラーになろうという人はほとんどいなかった。
もうすでにバブルの兆しはあって、アパレル業界に比較的簡単に就職できたからだ。
メンファ卒業生で、テーラーと縁のある人は近藤氏のほかに、サローネ オンダータの滝沢滋氏、同店サルト(仕立て職人)の水落卓宏氏、batakの中寺広吉氏などがいる。
さて、その後彼は、「突き詰めればオーダーメイドだな」と銀座の老舗、壹番館洋服店の門を叩きテーラーとして6年ほど修行する。
じつは彼が壹番館洋服店に入る半年ほど前に、水落卓宏氏が働き始めていた。少し後になるとイギリスのギーブス&ホークスで修行を終えて帰国した有田一成氏(テーラー&カッター)も働き始める。
その後も本当の洋服好きの人たちが集まってきたそうだ。水落卓宏氏を中心に仕立て技術を日々研究したという。
'90年代のある一時期、凄い求心力で逸材が集まったというわけだ。
高橋洋服店では型紙を
caccioppoliのバンチ。おすすめしたい生地ですね。 |
ここで彼は毎日のように製図ばかりひいていたという。3年間にわたって、型紙づくりのすべてを習得したのである。
壹番館洋服店時代はテーラーとして、高橋洋服店時代はカッターとしての技術を学んだというわけだ。
では、同じ壹番館洋服店で修行した水落氏と同じ縫製技術なのかというと、そうでもないらしい。
最初に針と糸をもったのは同じ壹番館洋服店でも、いろいろな情報が入ってくるなか、どれを選び、吸収するかは個人によって違うとのこと。
優れた方法があれば試し、もっと優れたものが見つかればそちらを選ぶといったように、自分が目指すスーツに必要な技術をどん欲に求めていったのである。
また、当時はお直しなどでイタリアの高級既製スーツを持ち込むお客もいたらしく、縫製の方法や、使っている芯地などを随分研究したそうだ。
次世代テーラーたち
実家がテーラーの場合は別だが、昔は一流テーラーに就職したら独立しない人が多かった。
今回紹介している近藤氏をはじめ、水落氏(滝沢氏のもとで独立しているようなもの)、有田氏といった若い世代は独立して、自分が理想とするスーツを仕立てているのである。