グランプラスの歴史を駆け足で解説

遠くからでも見えて便利な市庁舎の尖塔

遠くからでも見えて便利な市庁舎の尖塔

一般にブリュッセルの町の誕生は10世紀末とされますが、11世紀頃にはすでにグランプラスとその周辺に市が立ち始めました。13世紀頃はパン市場、肉市場、織物市場などがあり家々も建ちますが、並び方はガタガタ。中には庭付きの家もあったほど。

1384年にフランドル伯が娘マルグリットをフランス王室の傍系ブルゴーニュ家に嫁がせたことで、フランダース地域ははブルゴーニュ公国に。三代目フィリップ善良公の時代に宮廷はディジョンからブリュッセルに移り、町はヨーロッパの政治、文化の中心地として繁栄。町のランドマークでもある市庁舎は、平和を享受したこの善良公の時代に完成を見ます。

 

エグモント伯が最後の夜を過ごした王の家

エグモント伯が最後の夜を過ごした王の家

ブリュッセルがハプスブルク家による支配に移り、16世紀にスペイン国王として君臨したフィリペ2世の登場でグランプラスにも血生臭い歴史が刻まれます。狂信的なカトリック信者フィリペ2世は、当時ネーデルランド(現在のオランダとベルギー)領内で急速に力をつけたプロテスタント派を敵視し、徹底的に弾圧。

一方プロテスタント派擁護に回ったフランダース地域の地方長官エグモント伯。宮廷に赴き弾圧をやめるよう助言しますが、国王は聞く耳を持ちません。当時はスペインに抵抗する貴族同盟も組まれ、国王は疑心暗鬼状態。ついに1568年6月5日、疑いをかけられたエグモント伯はグランプラスで斬首の刑に。後年、文豪ゲーテは悲劇の人エグモント伯を主人公に据え戯曲を執筆し、ベートーヴェンが劇音楽を作曲しました。

さらに暗い歴史は続きます。太陽王ルイ14世下のフランスがスペイン領ネーデルランドに侵略の狙いを定めます。運命の日は1695年8月13と14日。この2日間にわたるヴィルロワ元師指揮下の激しい砲撃戦で、広場は甚大な被害を被ります。残ったのは市庁舎の塔、王の家とギルドハウスの壁が少しばかり。市内は4千軒以上の家屋が焼失。

 

現在は平和な広場。チョコレートの名店も集まる

現在は平和な広場。チョコレートの名店も集まる

しかし5年ほどでグラン・プラスは不死鳥のように復活。市に承認された建築様式のギルドハウスが続々と再建設され、より広場全体に調和が加わりました。現在私たちが享受できる美しい建築群はこの時期に再建されたものが大半。グラン・プラス5番地の建物の上で翼を広げるフェニックス像は、戦火の灰から蘇った広場を表しています。
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