企業のIT活用/システム導入事例

風林火山 武田信玄、砥石城攻めで大敗(4ページ目)

戦国武将に学ぶシステム作りNo11です。武田晴信の砥石城攻めが始まりました。ところが水の手を断ったのに城はなかなか落ちません。そこへ村上義清の後詰の知らせが入ります。退却すべきか信玄は悩みます。

水谷 哲也

執筆者:水谷 哲也

企業のIT活用ガイド

武田信玄の砥石くずれ その原因は

世に名高い「武田信玄の砥石くずれ」ですが、無理な力攻めではなく砥石城からの退却戦の惨敗が問題でした。原因は武田晴信の進退時期を間違えた決断にありました。
撤退の意思決定は非常にしにくい
撤退の意思決定は非常にしにくい

システム開発も同じです。途中で駄目と気づいたシステムでも最後まで構築し続けてしまい傷口を広げてしまいます。特に大手のITベンダーと組んでシステム開発をして失敗すると「○○でも駄目なんだから仕方がなかった。」とITベンダー名を入れて変な理由で納得してしまいがちです。

撤退の意思決定は非常にしにくいのは確かですが、現場では「おかしいのでは」と感じている人間が必ずいます。ところが異議を唱えず、どんどん時間が過ぎてしまい後戻りできないところまで進んでしまいます。

前進のために一歩後退することはマイナスではありませんが、どうしても撤退を進言すると「名誉の進言」ではなく、社内でマイナスと受け取られしまいがちです。

システム開発では撤退する勇気こそ大切です。

武田信玄のその後

戦国最強、甲斐の武田信玄へ
戦国最強、甲斐の武田信玄へ
村上義清に大敗した晴信は大いに反省し、勝ちを目指さず負けない戦を心がけるように徹しました。

たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり

という武田信玄の言葉が残っています。

進言してくれる家臣を大切にし、武田信玄の有名な言葉として「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」が後世に伝わっています。

大敗北した砥石城攻めですが、真田幸隆が工作をおこない砥石城を無傷で落とすことに成功します。信濃を平定した武田信玄はいよいよ川中島で上杉謙信とまみえることになります。

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