オーストラリアの中の小さな日本
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日本とカウラの関係
日本とカウラを結ぶもの……実は、カウラは、第二次世界大戦時下、日本人捕虜収容所が作られたところだったです。 捕虜の大半は、今では「月への階段」で知られるブルーム等で真珠貝を採取していた日本人移住者で、その後、捕虜となった日本兵も収容されました。
そのカウラ捕虜収容所から、日本兵数百人が脱走するという、通称「カウラ事件=カウラ日本兵集団脱走事件」が起き、大きくその名を国内外に知らしめる形となったとか。脱走兵378人のうち、231人が死亡、オーストラリア人数人も死亡したという、オーストラリア軍事史上類をみないこの脱走事件は、オーストラリアの人々にも衝撃を与えました。
戦後、収容所廃止に伴い、跡地を戦没者霊園とし、敷地内には、オーストラリア唯一の日本人戦没者霊園/Japanese War Cemeteryも作られました。
オーストラリアに突如現れた“日本の領土”?
この日本人戦没者が眠る霊園=Japanese War Cemetery は、1963年、日本に譲渡され、今でも(一応)日本の領土ということになっているのだそうです。詳細は、こちらで。
そんな、日本とカウラの歴史の1ページを忘れないために、そして2国間の繋がりを深める友好の証として、周辺に日本庭園や日本文化センター等、日本関連施設が作られました。そして、カウラの街中には、日本とオーストラリアからの寄付により、日本から取り寄せた桜が植えられた並木道「Sakura
Avenue=桜通り」も作られ、毎年春になると美しい花を咲かせてくれているというわけです。
現在、このオーストラリアの中の小さな日本は、地元の人々からもおおいに親しまれ、街のシンボルとなっています。
【カウラを知るための参考サイト】
▼日本との結びつき
-二つの世界大戦-
▼オズ・プロジェクト「カウラ市の紹介」
▼カウラ 日本人捕虜集団脱走事件
…と、ちょっと堅苦しい話になってしまいましたが、こうした歴史については、私達は知っておかなければならないこと、けっして忘れてはならないことのひとつ。かといって変によそよそしくする必要もなく、今のオーストラリアの人々はほとんど、日本びいきでもありますので、このカウラの『サクラ・マツリ』や日本に関わる様々な施設等訪問をきっかけに、より一層、2国間の絆を深めてもらえたら…と思います。
近年ワイン産地としても注目されているカウラ
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ワイン&グルメも見逃せないカウラ
近年、ワイン産地としてもメキメキと頭角を現しているカウラ。 実は、美味しいワインや食=グルメも見逃せません!
元々果物をはじめとするファーム(農園)が集中していたエリアだけあって、採れたて新鮮なものが直で手に入るわけですから、美味しくないはずがない!!だから、国内でもフード&グルメのディスティネーション=旅行先として、徐々に人気が高まりつつあります。行くなら今がチャンスかも?
日本では、秋風が吹きすさぶ(?)この季節、地球の裏側=南半球で、満開の桜を愛でながら美味しいワインで乾杯。これは、もうたまりません!!
日本の秋にオーストラリアへ旅するなら、このカウラの『サクラ・マツリ』を計画に入れてみるのも、なかなかオツなもの。今年はもう間に合わないかもしれませんが、来年の旅先に一考してみてはいかがですか?
【関連リンク】
▼ニュー・サウス・ウェールズ州各地の観光地案内
▼オーストラリアのグルメ
▼月への階段・ブルーム