アーティスト山路京子さん |
山路さんは、日本では外資系の会社でキャリアウーマンとして活躍。ご主人とのおつきあいを機に、退職したそう。仕事をやめてもバイタリティーにあふれる彼女は、アートに挑戦。山路さんご自身は、ひかえ目なタイプという印象だが、彼女のアートにはパワーがあふれて出していた。
アフリカが原点。絵を描くということ
Title:JUMP©山路京子 |
さて、絵を描きだしたきっかけは?
山路さん:
やることがなくなったら絵を描こうと思っていたんです。たまたまアフリカの動物のチーターの映像をみて、何かを感じました。強い猛獣としか思ってなかったのが、子供を育てているチーターがものすごくやさしい顔をしていたんです。
母性の強さにあこがれていたのかもしれません。いざという時に体をはって守る強さが。やさしくなるのは簡単ですが、強くなるというのは難しいですよね。アフリカの野生動物の中に、やさしさと強さの両方を見つけたのかもしれません。
それで実物を見たくなって、アフリカに行きました。そこでは自分が思ってたものより、もっと違うものを感じました。そして、描きたいものが変わってきました。
アフリカで知った「美しさ」
ソーホーのギャラリーが立ちならぶストリート |
さてアフリカはどんなところでしたか?
山路さん:
私にとってはショックな場所でした。雄大な自然、動物の美しさ、たくましさに感動すると同時に、私は動物の、というより人間も含めて、生きるための醜い部分も感じてしまいました。一日生きのびることは、誰かの犠牲の上に成り立っているということに。ライオンが生きのびるためにチーターの子が殺され、チーターが生きのびるためにガゼルの子が殺され。動物でも、子供を殺されるとショックで動けなくなったりするんですよ。でも、人間も同じことをしていたんだな、と思いました。
アフリカは、一部を除いては、一般的に貧しいとテレビで見て知っていても、自分で空気にふれないと実感できないものでした。それはまるで、地獄の風景のようなところもありました。道ばたでは食べるものもなく、明日には死んでしまうかもしれない子供たちがいるんです。
それなのに、その未来の見えない子供たちが、屈託のない、ものすごく純粋でかわいくて明るい笑顔で私たちに手を振ってよってくるんです。それが描く原動力になりました。人間の美しさを発見したような気がしました。
アフリカのようなところにいると、お金をかけても着かざっても美しく見えないんです。それよりもこんなに貧しいのに明るくて強くて純粋な人たちがとても美しくて、女性として自分が憧れる姿にもなり、そういう生き方を絵の表情にかもし出すことができたらと思いました。
そうして、ひたすらアフリカの絵を描きつづけてきました。イメージがどんどん浮かんできて、絵を置く場所もなくなってしまうほど。家族の理解も必要でした。結婚したてのころからですから、ぜいたくな話ですよね、絵を描いてばかりいるというのも。
それでも、夫が生活を支えてくれているおかげで、私がアーティストとしてやっていけるんだとも思います。自分が生活費のために働いてたら、絵を描いてるひまなんてないですし。
次のページではニューヨークでのアーティスト活動や仕事と主婦業の両立について聞いてみた。