●ダイヤモンドに魅せられたご主人とともに
何でもこなせる有能な人でありながら、それをおごらず、上品で可愛く、かつスタイリッシュな黒い服がキマってる、まさしくニューヨーカー!なのだ。
「もともとダイヤモンドに興味のあった主人は、30年ほど前にLAにある宝石鑑定の専門学校 GIAに留学し、その卒業にあたって、当時日本の大手繊維メーカーに創設された宝石部門から声がかかって、そこに入社しました。当時は、そこを卒業した日本人は、まだ珍しい方だったのですが、その会社に入社して、ダイヤモンドバイヤーとして、ダイヤモンドの取引が盛んなニューヨーク、ベルギー、アントワープ、イスラエルそしてインドと飛び回ってました。そうしている内にダイヤモンドに関する興味や知識はさらに深まっていったみたいですね。」
同時に、ダイヤモンドでビジネスしている日本の企業や海外のダイヤモンドの原石をあつかう輸出元の企業の人たちとのコネクションも培われていったという。24年前にニューヨークへ来ることを決断したご主人。『もっとダイヤモンドの原石に近いものを取引したい!』。勤めていた企業は本来、繊維を扱うのが主。彼は限界を感じ始めていたのだった。
「そもそも主人は子供の頃、母親のダイヤの指輪が綺麗だからと、こっそり持ち出すほどダイヤモンドに魅せられていたんです。学生時代には宝石販売のアルバイトもしたことがあるし。だから好きなことを仕事にしたって感じですよね。」
こうしてご主人が、海外脱出を考えていた頃、同じ会社に勤めていた多叡子さんと出会ったという。
「主人と出会った時に、ニューヨーク行きは決まってたんですよ。出会ってから半年で結婚しました。やはり結婚してしまうと同じオフィスでは働けないという理由(※日系企業にひそむ暗黙の了解?)で会社をやめました。その後、学生時代にアルバイトしていた広告会社の人がデザイン会社を起業するから、結婚して何もしていないのなら手伝ってって言われて、そこを手伝うことになったんです。そこは、今、立派な会社になってますが・・・。
その会社にいる時にアメリカにはCI(Corporate Identity・・・会社の企業理念を確立し、それをシンボルマークに表現する)を製作する専門のビジネスがあるっていうのを知って、その頃、コーポレート・アイデンティティーなんて日本語に訳してもよくわからなくて、企業の同一視ってどういう意味だろうな?って(笑)