■ペリーが絶賛した中城城
琉球王国統一初期、首里王府の王権が沖縄全土まで確立されていなかった時期、勢力の強かった勝連城主の阿麻和利(あまわり)を牽制するため、座喜味城主だった護佐丸(ごさまる)が王府の命により移り住んだ城が中城城です。
建てられたのは13世紀末~14世紀と推定されています。城壁の積み方に特徴があり、古い順から「野面積み」「布積み」「相方積み」と、琉球の石積み技法が混在しています。城の歴史とともに時代の変遷を見ることが出来ます。
城内には、神聖な場所「御嶽」が何カ所もあり、今も供物をささげて祈る人の姿をよく見かけます。1~2月の桜が美しいグスク。
場所・北中城村大城503
交通・国道329号線から県道146号線へ
電話・098・935・5719
時間・午前8時30分~午後5時(入場締め切りは午後4時30分まで)
定休・無休
料金・大人300円、中・高生200円、小学生100円
■離島まで見渡せる絶景の勝連城跡
首里王府にとっては反逆者、地域民衆にとっては英雄として伝わる阿麻和利(あまわり)の居城として有名です。二つの台地とその間の平地を取り囲んで築かれた大規模な城ですが、高くそびえる北城だけが残っています。
13世紀末~14世紀初めに築城されたものと考えられ、元末~明の良質で高級な青磁や数の少ない貴重な物も含まれていたことから、首里王府に匹敵する勢力だったようです。また、日本商人との繋がりが強かったとも推測されています。
15紀前半、最後の城主阿麻和利は民衆に推されてクーデターを起こし、勝連城10代目の城主となりした。
しかし、策略を使って首里王府を動かし忠臣の誉れ高い中城城の護佐丸を滅ぼした後、首里城を攻める計画を立てていたことが発覚し、首里王府に知られて攻め滅ばされました。
これについて実際は、統一間もない首里王府が、各地の有力な按司(豪族)を策略をもって滅ぼしたというのが正解だと思われます。なかでも護佐丸と阿麻和利は、最も勢力のある豪族だったということです。
場所・勝連町南風原
交通・国道329号線から県道16号線へ
電話・098・978・2158(勝連町役場産業課)
料金・無料
■1ページ【首里城公園】
■2ページ【園比屋武御嶽石門】と【玉陵】
■3ページ【識名園】と【斎場御嶽】
■5ページ【座喜味城跡】と【今帰仁城跡】