―◇ INDEX ◇―
■ お弁当の歴史
◇江戸時代のお弁当―【幕の内弁当】の登場
   ■ お弁当の国際比較(P2)
    ■ 食中毒予防の基礎(P2)
      ■ レシピ:梅しその肉巻き(P3)

幼稚園や学校に通うお子さんから、夜遅くまでがんばるお父さん、一人暮らしのあなたまで。毎日お弁当と共に家を出る方は、きっとたくさんいらっしゃることでしょう。
当サイトのおすすめサイト『お弁当のおかず』 でも、お弁当に役だつレシピサイトを集めてご紹介しています。作る人の心配りがあちこちに垣間見られる、まさに愛情の玉手箱「お弁当」が今回のテーマです。

◇ 【お弁当の歴史】

・古墳時代~戦国時代

まずは、お弁当の歴史から。携帯食、という点から考えるとやはり原点は【糒(干し飯)】(ほしいい)ということになるでしょうか。お米をご飯にしたものを日干ししたもので、腐りにくい・持ち運びしやすい・すぐ食べられるなどの利点から、非常食や保存食としても用いられました。
古墳時代にはすでに存在し、戦国時代には戦場で戦う武士達の貴重な食料だったといいますから、その歴史はとっても古いんですね…。(と思わず感心。)

・安土桃山時代

入れ物の中に詰めるという形での「お弁当」は、安土桃山時代から見られます。
石川県金沢市の老舗料亭で、駅弁販売も行っている『大友楼』は、お弁当箱のコレクターとしても有名。

当時のお弁当として、例えば【遊山弁当】があります。これは昔の大名や豪族がお花見や紅葉狩りの時に用いたもので、見事な漆器の「入り子」に重箱・お膳・お盆・お椀・箸入れその他もろもろ全てが3人分収められているものです。芸術品としても一見の価値のある素晴らしい蒔絵入りのものもあります。

・江戸時代―◇【幕の内弁当】の登場

更に江戸時代まで来ると、お弁当はかなり広く普及してきます。
【幕の内弁当】が出来たのもこの頃。芝居の「幕間」(休憩時間)に観客が弁当を持参して食べた事に由来します。今でも、歌舞伎などを観に行くと、幕間に持ち込みのお弁当を広げる姿が見られますね。

当時、江戸葭町(よしちょう)で繁盛していた中等割烹店『萬久』が百文で売り出したのが最初と言われています。当時そばが16文だったことを考えると、その約6倍ですから、かなりお高かったようです。この萬久、明治維新の前頃に閉店してしまったそう。
では、その中身は?というと、文献にその内容が残っています。

「小飯を小形に握り、煮染(にしめ)を副う。此煮方至て美味にして人の最も賞翫(がん)する所と為り」(『明治画報』1897)

「幕の内といへば一種の握飯(むすび)のごとく思いなさるるが、元(もとは)煮染の名なり。其幕の内といへるは其近傍の堺町葺屋町(注)の芝居へ仕出せる弁当の幕間に喫するより出たる名なるが、其の風味の善きを以て名高し。」(『江戸商標集紫草』江戸萬久の商標についての解説)

注:天保改革で猿楽町に移転する以前まで、芝居町といえば堺町と葺屋町(現在の人形町の西北)のこと。葭町はこのすぐそば。

と、お味の評判は上々だったよう。また、これから察すると、幕の内の定義は
▼ごはんが小さな俵型に握ってあること ▼煮染(おかず)がついていること
ということのようです。

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