【ケース4】何の価値もないけれどこころ癒されるグッズ
大好きな雑誌をみながらくつろぎたいことも。 |
■読者からのコメント
・大好きなマーサ・スチュアートの雑誌
マーサ・スチュアートは一世を風靡したアメリカのカリスマ主婦。いろんな事件があったけど、それでも彼女が提案し続けたライフスタイルは主婦の憧れでした。
そのマーサの雑誌や切抜きを米国から帰国するときに思いっきり処分をしてしまいました。いいものはいつの時代もいいもの。今でもあのときに紹介されていたコーディネートの方法を参考にしたかったと思うこともあり、とても残念です。(30代女性)
・写真
社会人として一人暮らしを始めるときに写真を大量に処分。このチャンスに捨てないと、社会人への一歩が歩めそうになかったから。でも、仕事でつらいことがあったときに、ふと学生時代のことが頭をよぎります。楽しかっただけの日々ではなかったけれど、だれもが満面の笑顔を浮かべている写真になぐさめられたいと思ったことも。(20代 男性)
・子どもが集めたカード、ぬいぐるみ
子どもは収集することが大好き! あるときは何店も探し回り、あるときは朝から長蛇の列に並んでゲットしたカード類。しかしその一方、リビングを散らかす張本人でもありました。
そのうち、子どもがカードで遊ぶこともなくなり、引越しのときにこっそりと捨ててしまいました。気づかないだろうと思っていたのに、ある日「あれ?カードがない」と騒動に。
捨ててから4、5年経った今でも、「どうして何もいわずに捨てたの」と責められています。カードの存在より、集めていた頃の懐かしさに浸りたいときがあるのでしょう。(40代女性)
捨てるためには何が基準になるのかは、難しい問題ではあります。考えたいことは2つ。
モノだけでなく思い出までを捨ててしまうが、それでもかまわないのか自問自答する。もう一つは、モノを保存するということは場所を確保しなければならないということ。かさばるものを保管しようとすると、そのスペースで何ができるのか、もしよそに保管を委託したらどれだけの料金が発生すべきものなのか。一度数字に置き換え、それでも保管したい意志があるか考えてみたいものです。