平将門の乱を平定するために開山

神田明神
こちらは東京の神田明神。成田山新勝寺は、平将門の乱を平定するためのお寺ですが、こちらは逆に、その将門を祀った神社です。将門は、よくも悪くも影響力の強い人物です
新勝寺の歴史は古く、平安時代にさかのぼります。平将門の乱の平定祈願のために開山され、弘法大師空海が自ら彫ったといわれる不動明王がご本尊となりました。

京都で処刑された後、あまりにも怨念が深かったため、目を見開いたままの生首が東京の大手町まで飛んできたことで有名な平将門。その後、日本で最強の怨霊となり、何かとたたりを恐れられた人物の影響は、今もって大きいようですね。


お不動さんは江戸のスター

時は流れ、江戸時代になると、このお寺の不動明王が爆発的に人気を呼ぶようになります。当時の大スターだった歌舞伎役者の初代市川団十郎が、こちらのお不動さんに願をかけて後継ぎとなる子供を授かりました。以来、団十郎さんは深く成田のお不動さんを信仰し、お不動さんの霊験をテーマとした芝居を作るなど、大々的にプロモーションします。その結果、江戸の庶民たちの間で、「成田のお不動さんは、すごいらしい」という噂が広まりました。

深川不動
東京の深川不動堂は、成田山の東京別院です。江戸時代は、この場所にあった永代寺に成田のお不動さんが運ばれ、江戸中の人々が参拝におしかけました
「出開帳」と呼ばれるイベントも、大人気でした。これは、遠くの地方にある有名な仏像を江戸に運んできて見せるという、今で言う展覧会みたいなもので、とりわけ、今の深川不動堂(東京都江東区)のところにあった「永代寺」という寺の境内で行われた成田のお不動さんの出開帳には、江戸中の庶民が繰り出したということです。

●どのようにして成田から江戸の深川まで不動明王像を運んだかを知りたい方は、こちらの、深川不動堂のHPをごらんください。

出開帳の際にも、市川団十郎さんが活躍しました。歌舞伎役者は、今のテレビタレントのように知名度が高い存在で、出開帳の際には、団十郎さんとその一門の人々が芝居をしたり、集まった人々に餅を撒いたりと大サービスしたため、成田とお不動さんの名はますます高まりました。成田は、江戸からなら三泊程度で行ける手ごろな距離にあったため、出開帳だけでは飽き足らず、直接出向いてお不動さんにお参りしたいと願う江戸っ子も多く、成田山新勝寺は、江戸時代の一大観光地になりました。

●市川団十郎と成田のお不動さんの関係は、こちらにも詳しく書かれています。

いよっ、成田屋!

七代目団十郎
新勝寺の額堂の中にある七代目市川団十郎の像。波乱に富んだ人生を送ったと言われます
歌舞伎を観る方ならよくご存知のように、現在、市川団十郎さんは、成田不動をプロモーションした初代から数えて十二代目。その息子さんの市川海老蔵さんも、女性タレントといろいろ噂があって、ワイドショーなどでもお馴染みの方です。この一門は、初代の団十郎さんのエピソードにちなんで、「成田屋」という屋号を使っておられるので、歌舞伎通は、彼らが登場すると、「いよっ、成田屋!」と声をかけます。

成田屋さんの系図を見ると、歴代の団十郎さんが活躍し、次第に江戸の歌舞伎のスタイルが確立されていった様子がわかります。右の写真は、七代目の団十郎さんの像。文化文政期に活躍したスターでした。

●成田屋さんのホームページはこちらです。初代からの成田屋さんの系図などをご参照ください。


見得を切るお不動さん

不動明王
これは新勝寺のものではなく、わたしの知り合いの骨董商の方が所有する不動明王像です。右手に剣、左手に縄を持ち、脚を一歩踏み出した典型的な姿です。この姿勢が発展して歌舞伎の見得になったとも言われます
初代の市川団十郎は、「荒事」の創始者で、成田屋さんは、代々、その荒事を芸風としています。荒事とは、江戸っ子好みの、短気で豪快で胸のすくようなヒーローが活躍する芝居のことです。そのような芝居の山場では、ヒーローは、目を見開いたり、足をトンと踏み出して見得を切りますが、それは、不動明王の姿がヒントになっているとも言われます。

お不動さんは、真言密教(成田山新勝寺などが含まれる仏教の一宗派)の中心的な仏様である大日如来の化身です。大日如来は優しく神々しい端正な仏様ですが、不動明王は、その大日如来の心の中の強い決意を表現する仏様であるため、一見、怒ったような表情でポーズも荒々しい。しかし実は、誰よりも心優しく、霊験あらたかな仏様です。そういった理由で、お不動さんは、江戸の庶民たちに、もっとも親しまれる仏様になったのです。


次のページではボランティアガイドさんの案内で、境内を歩きます。