上野公園は、もともと寺だった
東京の花見と言えば、まず上野公園 |
それがなぜ公園になったかというと、江戸末期の「上野戦争」で、ほとんどのお堂が焼けてしまったからです。上野戦争は、幕府派と尊皇派が戦った戊辰戦争の前哨戦。尊皇派は、大砲や銃など近代兵器を持っていたため、幕府派は散々にやられ、あっという間に決着しました。焼け野原となった上野一帯は、病院にしようという話もあったのですが、とあるお雇い外国人の提案で公園にすることになり、やがて、東京藝術大学の前身なども建てられて、文化施設の並ぶ場所に変わっていったのです。
江戸時代の桜の名所
混雑する上野公園にも、探せば穴場の花見どころがあります |
宴会をしたい人は、王子の飛鳥山公園や向島の墨堤(隅田川の堤防)などまで出かけました。この二つは、徳川吉宗さんが、庶民のためにたくさんの桜を植えたことから、花見の名所になったのだそうです。現在の東京の桜の名所は、このように、江戸時代から続いているものが多いようです。
最初のポイントは両大師堂
両大師堂の境内には、各種の桜の木があります |
現在の上野公園は、昼間から場所取りをする人も多く、風情のあるお花見散歩には適しません。しかし、不忍池方面などをはずして、公園周辺を少し探せば、けっこう穴場もあります。まずは、上野駅から東京国立博物館に向かう道の右手にある両大師堂。両大師とは、天海僧正と、天海僧正が深く信仰した慈恵大師(10世紀の延暦寺の僧)のことで、この二人が祀られているため、両大師というのです。
両大師堂の黒門前の枝垂れ桜 |
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■両大師堂
・所在地:東京都台東区上野公園14-5
・交通・アクセス:JR山手線上野駅より徒歩5分
・地図:Yahoo!地図情報
・TEL: 03-3821-4050
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