お寺と神社は、もともと同じもの
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冨岡八幡宮の社殿。往時の面影を残す立派な建物です |
門前仲町の駅から出て少し歩くと、短い参道に続いて深川不動堂があり、右に冨岡八幡宮、左に深川公園があります。参道の右脇に、永代寺という小さな寺がありますが、永代寺は、もともと、現在の深川不動堂と深川公園を含めた大きな敷地を持つ寺で、冨岡八幡宮の別当寺でした。別当寺とは神社に付属する寺のことで、そこの僧侶は、仏事とともに神事も行いました。神社と寺、仏教と神道がまったく別のものとして認識されるようになったのは、明治の「神仏分離令」以降のことで、もともとの日本の仏教は神仏混交ですから、江戸時代までは、神社と寺が一緒になっているのは、当たり前のことだったのです。
永代寺は、冨岡八幡宮と一体となって大きな勢力を持っていましたが、神仏分離の際に、いったん取り潰され、その後、永代寺の中にあった塔頭(大きな寺の中にある支店のような形の小寺)が、細々とその名を受け継ぐことになりました。ここだけでなく、日本の大きな神社は、何らかの形で寺と一体化して発展したものが多く、一般日本人の中では、神も仏も大差はなかったのです。神社仏閣巡りの際は、まず、その点をお忘れなきよう。
相撲に、祭りに、大賑わいだった冨岡八幡宮
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ガラス越しですが、ダイヤモンドなどの宝石を埋め込んだ豪勢なお神輿を見ることができます |
でまあ、話を江戸時代に戻すと、冨岡八幡宮永代寺は、豪商たちに支えられて大発展し、庶民たちのお参り+遊びの場として人気を博していました。冨岡八幡宮境内には、そのことを示す記念碑などが、数々残されています。
まず見て欲しいのは、大鳥居を入って左手にある日本一の黄金神輿を納めた神輿庫です。二つあり、双方、平成になってから造られたものですが、神輿というのものは、古来より、周辺住民の財力を含めた力の結集であり、祭は、その発露の場です。江戸の三大祭として名高い冨岡八幡宮例大祭の、粋でいなせでありながらも少々荒っぽい雰囲気は、深川が、材木商たちが集うパワフルな街であったことを伝えるものです。
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横綱の記念碑。他にも、大関の碑など、相撲関係の石碑が数々あります |
大鳥居右手及び境内奥には、相撲関係の石碑がいくつもありますが、これもまた、冨岡八幡宮永代寺の賑わいを彷彿させるものです。相撲はご存知のように、もともと神事として発展したため、古来より神社の境内で行われてきました。こちらは、江戸の勧進相撲(神社仏閣などを建てる際の寄付集めとして行われる相撲)の本場です。並外れて体が大きい力士を、人々は神と見なして崇め、その力にあやかろうと、盛んに喜捨をしたものと思われます。
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