世界遺産/世界遺産豆知識

負の遺産と世界遺産条約の挑戦(3ページ目)

世界遺産には負の遺産と呼ばれるものがある。アウシュヴィッツや原爆ドームがその一例だが、なぜこのような物件が世界遺産に登録されたのだろう? 今回は負の遺産に焦点を当て、世界遺産条約が目指すものを追う。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

負の遺産の意味

サラエボ
ボスニア・ヘルツェゴビナの暫定遺産サラエボの旧共和国議会ビル。ボロボロに爆破されたビルの前の道路はスナイパー通りと呼ばれ、道行く人々を無差別に銃撃した。
ナチス政権下でも美術品の保護が進められたように、美しいものを守ろうなどという思想はいつでもあった。人類は美を愛し、文化を発達させながらも戦争を起こしてきた。

これに対して世界遺産はアウシュヴィッツ-ビルケナウや原爆ドームを登録した。これまでの歴史を繰り返さないという決意表明だ。

でも考えてみると、神や思想だって同じだった。いつでも人は自分が善だと信じて戦った。世界遺産活動も結局それを正義だと信じているだけ、一種の信仰・思想にすぎないのではないか?

普遍的価値と世界遺産の挑戦

トゥールスレーン刑務所博物館
プノンペンのトゥールスレーン刑務所博物館(世界遺産ではない)の頭蓋骨で作られたカンボジアの地図。カンボジアでは1970年代に100~200万人が虐殺されたといわれる。
この文明のアプローチ自体が失敗だ、というのがアドルノの言葉の一般的解釈だ。しかし、世界遺産はそれに真っ向から対立する。

世界遺産条約前文は、「いずれの国民に属するものであるかを問わない、この無類でかけがえのない物件を保護することが、世界のすべての国民のために重要」だという。この文明と、この文明を作り出した自然はかけがえがない。
でも、たとえば自然は何度もの大量絶滅を繰り返して進化したように、人類が自然を滅ぼしてもまた新しい自然ができるだけじゃないのか? たとえば温暖化防止についても、やがてまた氷河期がくるという学説があるが、そうなったら人類は自然環境を変えて地球の平均気温を上げようとするのではないか? 文化や自然の保護なんて人類の都合でしかないのではないか?


実は世界遺産条約はこれらの疑問に最初から答えている。なぜ世界の遺産を保護するのか? そこには「顕著な普遍的価値がある」からだ。

「普遍的価値」とは、時代も国も民族も思想も超えて、全人類に共通する価値だ。そんなものあるのだろうか? 人々がこれまで信じてきた神や思想とどう違うのだろうか?

世界遺産条約のどこを見ても「普遍的価値」について具体的には書かれていない。しかし、世界遺産条約の核が「普遍的価値」にある以上、これに答えられなければならない。それができないのなら、世界遺産もこれまで何千何万と生まれては消えた思想・信条のひとつにすぎないだろう。

ギゴンゴロ虐殺記念館
ルワンダのギゴンゴロ虐殺記念館(世界遺産ではない)。小学校の教室跡に数千体の化学処理された遺体が並べられている。1994年の虐殺で数十万~百数十万人が犠牲になったという。
「普遍的価値」は存在する。おそらく、だからこそ世界遺産条約はもっとも多くの国(2006年7月現在182か国)が批准する条約になっている。

アドルノは、何より普遍を愛した哲学者だ。彼は答えを知っていた。ただ彼は、普遍的なものを直接語ることはなかった。もちろんそれには理由がある。それは信仰とか思想という形をとらないからだ。一人ひとりが考え、あるいは感じ、到達しなければならない場所にある。だからこそ対象は「全人類」なのだ。

世界遺産は、戦争ばかり繰り返してきた人類の歴史への挑戦だ。負の遺産はその象徴といえる。

さて、みなさんに質問。「普遍的価値」とは何でしょうか?

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