ドイツ/ハンブルクと北ドイツ

リューベック(2) 「ハンザ同盟の女王」

13~16世紀にかけて商業が発展し、「ハンザ同盟の盟主」としてバルト海に君臨したリューベック。ここではその歴史に少し触れてみましょう。町の富が残したものは、立派な建築物だけではありません。

執筆者:カルカ 麻美

リューベックを紹介するシリーズの前編では、世界遺産に指定されている旧市街に今も残る、中世の建築物や街並みをご紹介しました。ここでは、その立派な街並みが生まれた要因である、”商業が発展し、ハンザ同盟の盟主として栄えたリューベック”という視点から、この歴史ある町に迫ってみたいと思います。

ハンザ同盟の盟主、リューベックの盛衰


リューベック
商業で発展したリューベックのトラヴェ川沿いの街並み

リューベックが建設されたのは1143年。早くからバルト海の商業の町として発展し、1226年には自治権を獲得、自由帝国都市となります。この形は1937年にシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州に吸収されるまで、711年間続きました。

1266年にはリューベックを中核として、バルト海の貿易保護を主な目的とする「ハンザ同盟」が結成されます。14世紀半ばの最盛期には100以上の町が加盟。ドイツ北部の町を中心に、ロンドンやブリュージュ、ノブゴロド(ロシア)など、広範囲にわたる地域の都市に商館が置かれました。リューベックの市庁舎では不定期に「ハンザ会議」を開催。商業上の話し合いに留まらず、政治・軍事上の重要な決定もここで行われました。ハンザ同盟の商人たちは人々に尊敬され、時には恐れられるほど力を持っていたと言われます。

300年にわたってヨーロッパ北部の経済を支配したハンザ同盟。しかし大航海時代に新しい航路が開拓されると、貿易の中心はバルト海から北海・大西洋に移り、同盟は次第に縮小。1630年に最後のハンザ会議が開かれ、ハンザ同盟は幕を閉じます。その後は、リューベックは商業の町であり続けながらも、経済の中心となることはありませんでした。その代わり、当時の伝統が残ったのです。リューベックがあのまま経済の中心として発展し続けたとしたら、私たちがこの古き良き町の姿を見ることはおそらくなかったでしょう。

次のページでは、富を蓄えたリューベック市民たちが残した社会福祉施設などをご紹介します。
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