家業がスポーツ専門店だったという苦労の20代

バンクーバーイメージ
海外在留邦人数が北米一のバンクーバーにワーホリしたのがきっかけだった
学生時代、体育会野球部に所属していたという、日体大出身の滝沢さん、バリバリの体育会系なので、さぞ厳つい人物かと思いきや、ほっそりとして礼儀正しい、何か凛とした男性。それもそのはず、在日カナダ大使館より、人物推薦状を授与された経歴をもっています。そんな滝沢さんですが、20代は苦労が多かったようです。

大学卒業後、滝沢さんは教員になる道を選ばず、単身渡米。ところが、アメリカに渡ってみると、雇用主となるはずのひとに多額の脱税が発覚。就職する予定だったテキサス州の日本食レストランは、強制閉鎖になってしまいました。

出鼻をくじかれ、仕方なく帰国した滝沢さんですが、そののち、カナダのバンクーバーへワーキングホリデービザを取得して半年間滞在。そのとき、1ヵ月ほど暮らしてみたのが、ケロウナという街でした。いっぺんで気に入り、ここで本格的に事業を興そうと心に決めた彼は、故郷にいる親にその報告をします。

ときは90年代初頭、バブルが崩壊し、日本経済は大きな曲がり角に来ていました。移住報告をしようとする滝沢さんに、長野県千曲市内でスポーツ専門店を経営する父親が、家業を手伝ってくれないかと切り出しました。少子化も進み、今までどおりの経営方針では立ち行かないとあって、長男である滝沢さんはやむなく帰国を決意。結局、長野で家業を継ぐことになりました。

親の代には手広く商売を拡げていたものの、滝沢さんに課せられた仕事は、不良在庫の清算や店舗の縮小ばかり。長野オリンピックを最後の仕事に、ついには自主廃業の道を選ぶことになったのです。