長い歴史の中で、端午節には様々な願いが込められていった

【端午節】「端午の節句」にまつわる様々な伝承をご紹介してきましたが、個人的な意見としては、まず「健康祈願」が主となる季節の行事が発生し、屈原の命日と時期的に近かったのと、日づけの語呂がよいことから両者の行事が合体したのではないかと思います。

古い時代の人々には十分な医療設備もなく、薬草は貴重品であったろうと思います。欲しい時にすぐ手に入るというものではないですから、薬草を摘む仕事は、おそらく最優先の作業として集落総出で行われていたのではないかと思われます。

やがて、集落のみんなが集まれば、何かイベントごとが欲しくなる……。あちらの集落、こちらの村も同時期に総出で集まっているとなれば、ただ追悼の儀式で船を出すだけでなく、漕手の技量を競ってみたくなる……、そんな流れを想像しました。

また旧暦の5月5日頃は、春の農作業が一区切りつき、入梅を前にする季節の変わり目でもあります。こうした時期は特に体調を崩しやすく、また、梅雨の影響で衛生環境も悪化します。

これらの状況を考えると、「薬草を確保する」「無病息災を願う」のは、現代に生きる我々が想像する以上に切実なものであったと思われます。

日本の場合は、それが「せっかく授かったお世継なのだから健やかに成長して欲しい」という想いへ、そして武家社会のお家存続の願いとマッチして、今のような方向へ流れていったのではないかと思います。

中国の暦のことを知り、中国の暦の文化を受け取った日本がどのようなアレンジを施していったのかを知り、それらについていろいろと考えをめぐらせるのは面白く、興味がつきませんね。

中国人の友人との話題の種にしてみたり、日中両国の文化や習慣を知る種にしてみたり、あなたなりに暦の雑学を楽しんでみてください。

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