買いたいと思ったときに買えるとは限らないのが家。
親の病気、急な配置換え、リストラ、……などの他にも、「こんなはずじゃなかった!」不測の事態は、いくらでもあるのです。 |
よしもとばなな女史の有名な小説『キッチン』の一節に、
「引っこしは手間だ。パワーだ。」
という文句があります。
これは、住まい的に、けだし名言です。
いわんや「家を買う」ことをや! と、思わずつなげたくなります。
そう、「家を買う」という行為は、(経験したことのある人であれば誰しも思い当たるはずですが)凄まじく、恐ろしいほどに、人からエネルギーを奪い、消費し、消耗します。
「手間(時間)」・「パワー(体力)」は底なしに。そして「お金」は、きっちり底がつくまで(!)。
「“お宅通”ビジネスマン」として度重なる住み替え・引っ越しを経て念願の住まいを建てた藤原和博氏は、著書『建てどき』の中で「家を建てるなら45歳まで」(45歳を過ぎたら建ててはいけない)と言い切っています。
その真意は本に直接当たって読んでみて欲しいのですが、読んだ後、この「家を建てるなら45歳まで」、これもけだし「名言」であると肯かざるを得なくなるでしょう。
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ある意味「出来合い」のマンションや、建売住宅ならまだマシなのかもしれません。しかし一から十まで(位置から住まで!)住まい作りのプロセスを踏まねばならない「注文住宅」や「コーポラティヴハウス」を持つといった場合、そのエンドまでにかかる労力は、予想をはるかに超えた、半端ではないものになります。
他人から見ればどうでもよさそうな蛇口のデザインひとつ、トイレの壁紙一つを決めるのにショウルームやモデルハウスを梯子し、カタログと首っ引きで家族全員、眠れぬ二晩を過ごしたりすることすら「ざら」。
それはそれで楽しい労苦でもあり、だからこそ住まいが竣工したときの喜びもひとしおとなるのですが、果たして、自分はそこまでの情熱を持って「その時」家作りに励めるのか? ちょっと想像してみて欲しいのです。
仕事仕事で連日徹夜になるほど忙しいとき、乳飲み子を複数抱えているとき、受験生が何人もいるとき、親の介護が必要になったとき。
「その時」……情熱を持って家作りに励むことは可能なのでしょうか? 自分自身や家族の体調が崩れ、病院通いが続き、収入のあても頼りなくなったようなときに、家作りになど傾注できるのでしょうか?
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