シアトルでレストラン経営、そしてテロで訪れた転機
シアトルではご自身のレストランを大成功させた山内さん。でもやはりテロの影響は大きかったようです。 |
シアトルは、任天堂、マイクロソフト、ボーイングなどの一流企業が集まる場所で、治安面でも安心できました。山内さんはLAで身に付けたレストラン経営のノウハウを活かして、ついに自身のレストランをオープン! 40名の従業員を抱える大きなレストランへと成長し、大盛況の7年間を過ごします。
LAに続き、シアトルでも成功を収めた山内さんに訪れた次なる転機は、2001年9月11日、世界を震撼させた同時多発テロ事件でした。アメリカ経済にも大打撃を与えたテロは、山内さんのレストランにも暗い影を落としました。全米規模の不況の中、客足も激減。やむなくレストランは閉鎖に追い込まれてしまいました。
もともとレストランは時価変動の激しい業種でもあり、このテロをきっかけに経営の難しさを痛感された山内さん。それまで走り続けてきた多忙な人生を振り返り、そろそろのんびりと自然の中で暮らしたい…、という思いがこみ上げてきた時期。そして選んだ移住先がマウイ島だったのは、自然な流れだったのでしょう。
マウイに移住、4日目にはすでにハレアカラに
シアトル時代から、ビル・ゲイツの影響もあってマウイが大好きだったそうです。 |
星を見るのに適しているのは光がなくて、高い場所。ハワイではハワイ島マウナケア山とマウイ島ハレアカラ山が有名ですが、ハワイ島より緑の多いマウイのほうが魅力的だったそうです。休暇で来るたびに登っていたハレアカラの星空のガイドになったのは、なんとマウイ移住4日後。
「マウイでの仕事として、レストランはもう考えられませんでした。やっぱりハワイですから観光業ですよね。となれば、自分にはハレアカラの星空ツアーしかないと思っていたんですよ。」
こうして2002年、マウイ島でハレアカラ・スターゲイジング・ツアーを行う会社に入社。山内さんのハレアカラ・ガイドの日々が始まったのでした。
⇒ 山内さんがハレアカラの星空を通じて伝えたいことは次ページで。