ハワイ/マウイ島・ラナイ島・モロカイ島・カウアイ島

マウイ島のスーパー星空ガイド山内良和さん

24年前にアメリカに移住、2002年からマウイで暮らす山内良和さんにインタビュー! 実は、元サザンオールスターズのマネージャーという彼が、カリスマ・ツアーガイドとして活躍するようになった理由は…?

執筆者:上野 元

ハワイで暮らす日本人インタビュー、今回はマウイ島でハレアカラ・サンセット&スターゲイジング・ツアーを行う「マウイオールスターズツアー」を主宰されている山内良和さんです。24年前にアメリカに移住、そして4年前の2002年からマウイで暮らしている山内さん。なぜマウイに移り住むようになったのか、山内さんが伝えたいマウイやハレアカラの魅力などについて、お話をうかがいました。

サザンオールスターズのロードマネージャーを辞めて渡米

ハレアカラ名ガイド「マウイオールスターズツアー」の山内さん
ハレアカラ名ガイド「マウイオールスターズツアー」の山内さん
星空観測が終了して下山する車中、最初に車内に流れる曲がサザンオールスターズの「真夏の果実」。この曲とツアー名の「マウイオールスターズツアー」からピンと来る人も多いそうですが、実は山内さんは以前、サザンオールスターズのロードマネージャーだったのです。

もともとはご自身がプロ・ミュージシャンを目指してプロダクションに入社したそうですが、「本物のプロを目の当たりにして、1日でその道はあきらめました(笑)」という山内さん。入社後は1年に3日程しか休みのないマネージャー生活を3年間も送りました。

1週間に1日休む生活が夢だった当時、少し静かな生活を送りたいと思い、元々憧れていたセスナパイロットの免許を取るために渡米。「候補地としてLAとホノルルを下見したのですが、音楽関係の仕事が賑やかだったせいか、当時の自分にはハワイはスローテンポすぎると感じてLAに行ったんです。」

渡米したときはアメリカに住むことになるとは思っていなかったそうですが、1年間航空学校に通った後もそのままLAにとどまることになりました。「終電人生がイヤだったんです。終電が12時なら、11時までにご飯食べ終わらなくちゃならないでしょ。そういう時間の枠やカリキュラムが決まっている人生じゃなくて、自分の生活ができるという余裕がアメリカにはあると感じたんですね。」

レストラン経営で手腕を発揮、グリーンカード取得

山内さんは元サザンオールスターズのロードマネージャーという経歴の持ち主
山内さんは元サザンオールスターズのロードマネージャーという経歴の持ち主
航空学校に通っている時に、LAでレストラン経営をするご夫妻と出会いました。日本での仕事で培われたマネジメント能力を高く買われ、そのご夫妻のパートナーとして仕事をすることに。このときにグリーンカードを取得し、その後食べ放題のレストランを13年間にわたり、次々と出店していくことになります。このレストランは、実は今や全米20店舗を超すほどの有名店。レストランのマネジメントノウハウも身につけ、大成功を収められました。

「最初は全然英語なんて話せませんでしたね。ワーラー、ワーラーと言うので何で麦の藁が要るのかと思ったら水だったりして(笑)。生活しながら自然と身につけていった感じですね。」

アメリカで生活したいと考えるのであれば、まずアメリカで何をしたいのか、何ができるのかをはっきりさせること、と言う山内さん。それが明確だったからこそ、英語も自然と身についていったのでしょう。

もちろん、そんな大成功の裏側にも、たいへんな苦労もあったようです。数多くの従業員を管理する中、カルチャーの違いから誤解を受けたり、泥棒に銃で撃たれたり、日本でも大きく報道されたLAの暴動や地震を経験され、次第に治安面などに不安を覚えるようになっていきました。レストラン経営者として落ち着いた安全な場所での独立を決心されたのも、ちょうどその頃のことです。

⇒ LAを離れ、次に山内さんが移住した先は…次ページでいよいよ始まるハワイ生活。
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