ハワイ/ハワイロングステイ・移住

「マウイの達人」サニー神谷氏インタビュー(2ページ目)

「マウイの達人」を運営する、マウイ島在住12年のサニー神谷さん。マウイを訪れる人への総合的な情報を発信し続けて早くも8年という彼に、マウイ島での生活についてうかがってまいりました。

執筆者:上野 元


到着したホノルルは雨、すぐさまマウイへ

サニー神谷さん
苦労した当時を振り返るサニーさん。
テレビ番組で光輝くハワイの風景を見てしまったサニーさんは、2年間のニューヨークでの生活に限界を感じ、ホノルルで消防士をしようとハワイに向かいました。32歳のときでした。

ところが、到着したホノルルは折りしも雨。暗い空を見上げて「これではニューヨークと変わらない」と落胆されたそうです。しかし、たまたまた入った食堂がサニーさんの運命を変えました。

「お店の人と話をしていたら、それならマウイに行ってみれば、と言われたんです。お話ししながら、すっかりその気になってしまって、そのまま飛行機に乗ってマウイへ行っちゃったんですよね。」

ほとんど無一文だったサニーさんは、まず仕事探しを始めました。新聞の求人広告で見つけたのがラハイナ・ダイバーズの仕事です。

「ダイビングのライセンスは持っていなかったのですが、レスキュー隊で潜水士の資格は持っていたため、働きながらライセンスは取ればいいと言うことになったんですね。」

実はアパートの大家さんにも、決まった保証金などを払えなかったそうですが、元・消防隊員という経歴を説明すると、今後、きちんと返すから、というサニーさんを信頼し、住まわせてくれたのだとか。過去の経歴が、こんなに時間がたっても基盤構築のために役だったのです。

4年間休みなしの生活、そしてマウイの達人の立ち上げへ

「マウイの達人」サニー神谷さん
ホームページすら珍しかった1998年に「マウイの達人」を起ち上げられました。
しかし、やはり現実は厳しく、ラハイナ・ダイバーズで週5日働いても、生活費が足りなかったそうです。日本語が話せてダイビングの指導もできるということで、休日はプリンスクヒオ号という、無人島へ行くツアーの添乗員としても働く日々が始まりました。実に4年もの間、週7日勤務だったそうです。そんな彼に1997年、ひとつの転機が訪れました。

「コンピュータ関係の仕事をしている人から、これからはネットの時代だと言われました。古美術商のライセンスを持っていたので、試しに浮世絵の委託販売をやってみたところ、結構売れたんですね。これなら日本の観光客向けに、ツアーやアクティビィティ、ホテル予約もできるのではないかと思ったのが、ネットの世界へはまっていったきっかけです。」

まだ、個人でホームページを持つことなど珍しかった1998年に、すでに「マウイの達人」の原型ができあがっていて、フォームを使った旅行商品の販売ビジネスをスタートしていたというのだから、先見の明はすばらしいですね。

「マウイの達人」商品群
旅行商品以外に、確かな目で選んだマウイならではのアイテムを販売
ツアーやアクティビティの予約から始まった「マウイの達人」ですが、日本のバブル崩壊とともに観光客も減り、各旅行会社も生存をかけて苦悩していた時期によく考えていたのがハワイやマウイの品物を販売することでした。

「各旅行会社のデスクにせっかく人が来るのだから、ショップを併設すれば売上を少しはカバーできるだろうにと思っていました。でも、事務所の利用上の制限があってできないのだとか。だったらネット上ならできるのではないかと思ったわけです」

⇒ サイト運営以外にもいろいろな顔を持つサニーさん。マウイの魅力、そしてこれからの夢は…?
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます