到着したホノルルは雨、すぐさまマウイへ
苦労した当時を振り返るサニーさん。 |
ところが、到着したホノルルは折りしも雨。暗い空を見上げて「これではニューヨークと変わらない」と落胆されたそうです。しかし、たまたまた入った食堂がサニーさんの運命を変えました。
「お店の人と話をしていたら、それならマウイに行ってみれば、と言われたんです。お話ししながら、すっかりその気になってしまって、そのまま飛行機に乗ってマウイへ行っちゃったんですよね。」
ほとんど無一文だったサニーさんは、まず仕事探しを始めました。新聞の求人広告で見つけたのがラハイナ・ダイバーズの仕事です。
「ダイビングのライセンスは持っていなかったのですが、レスキュー隊で潜水士の資格は持っていたため、働きながらライセンスは取ればいいと言うことになったんですね。」
実はアパートの大家さんにも、決まった保証金などを払えなかったそうですが、元・消防隊員という経歴を説明すると、今後、きちんと返すから、というサニーさんを信頼し、住まわせてくれたのだとか。過去の経歴が、こんなに時間がたっても基盤構築のために役だったのです。
4年間休みなしの生活、そしてマウイの達人の立ち上げへ
ホームページすら珍しかった1998年に「マウイの達人」を起ち上げられました。 |
「コンピュータ関係の仕事をしている人から、これからはネットの時代だと言われました。古美術商のライセンスを持っていたので、試しに浮世絵の委託販売をやってみたところ、結構売れたんですね。これなら日本の観光客向けに、ツアーやアクティビィティ、ホテル予約もできるのではないかと思ったのが、ネットの世界へはまっていったきっかけです。」
まだ、個人でホームページを持つことなど珍しかった1998年に、すでに「マウイの達人」の原型ができあがっていて、フォームを使った旅行商品の販売ビジネスをスタートしていたというのだから、先見の明はすばらしいですね。
旅行商品以外に、確かな目で選んだマウイならではのアイテムを販売 |
「各旅行会社のデスクにせっかく人が来るのだから、ショップを併設すれば売上を少しはカバーできるだろうにと思っていました。でも、事務所の利用上の制限があってできないのだとか。だったらネット上ならできるのではないかと思ったわけです」
⇒ サイト運営以外にもいろいろな顔を持つサニーさん。マウイの魅力、そしてこれからの夢は…?