20代前半で初めてハワイを訪れ、結婚式もハワイ。この土地での暮らしを夢見た内田佐知子さんが、移住を実現したのは2004年暮れのことでした。DJとして、ライターとして大都会で活躍していた彼女にとって、ハワイ暮らしは、夢に描いていた通りのものだったのでしょうか?

アメリカ文化に憧れて交換留学に応募。ホームステイ体験

内田佐知子
現在J-Waveの「Colors of Hawaii」にハワイからライブで出演中のDJ内田佐知子さん。ゲスト出演したジェイク・シマブクロさんと。
子供の頃からアメリカ文化にひたり、映画スターに恋して英語を真剣に学んだ内田佐知子さんは、高校の時、住んでいた東京都立川市の交換留学プログラムに応募。厳しい審査を見事に通過し、カリフォルニア州で短いホームステイを体験しました。

帰国後には、滞在中に学んだ異文化体験を発表しなければならないのですが、彼女はそのテーマに「離婚」を選んだそうです。

「なぜ高校生の私が離婚に興味を抱いたのか、今となっては不思議ですが(笑)、とにかくたくさんの離婚経験者がいて、日本とのギャップを感じていたんですね。ですから1カ月間というもの、会う人ごとに、なぜ離婚するの?と聞いて回ってました。」

好奇心にあふれた彼女は、人に会って話を聞くという取材活動の楽しさを、この時に知ったようです。束の間のアメリカ生活ではありましたが、内田さんの中に強烈な印象を残し、あらためてアメリカのカルチャーやエンターテインメントの世界への関心を強めることとなりました。

DJコンテストに優勝。大好きな音楽を仕事にする喜び

内田佐知子さんの旦那様とお友だち
ハワイに住む良さは、友達がたくさん訪ねてくれること。
とにかく音楽が大好きだった彼女は、高校3年の時に、インターナショナルDJコンテストの存在を知って、思わず応募。もともと子供頃からピアノ学び、音楽大学にも進むことになっていたのですが、彼女の興味はクラシックよりもロック。ラジオもよく聴いていたので、DJはあこがれの職業のひとつでした。

得意の英語力をいかんなく発揮して、DJコンテストは見事入賞! 国立音楽大学に進学し、楽理学(Musicology)を学びながら、幸運にも東京FM系のネットワークで、DJとしてのキャリアをスタートすることができたのです。

実は話をすることと同じくらいに書くことが好きという内田さん。自らを活字中毒と称するように、雑誌も何誌も欠かさず購読していました。とくに好きなのがファッション雑誌で、JJの中に読者ライターの募集記事を見つけるやいなや、すぐに応募していました。

「当時は音楽コーナーがとても小さかったので、ファッションと音楽の関係性や重要性を訴えつつ、新譜紹介を中心とした音楽ページについての提案をしたところ、すぐにお電話をいただけたんです。」

得意な英語を生かして、来日中だったアメリカのアーティストのインタビューを見事にこなしたことを認められ、その後はハワイに来るまでの14年間にわたってJJの音楽ライターとしても活躍することとなりました。

華やかな表舞台。

大学も卒業すると、DJとしてのフル活動が始まりました。FM横浜、FM富士、J-Waveと、複数の番組を持ち、バリバリと第一線でラジオに出演する日々。音楽ものの番組もあれば、海外のひとり旅をテーマにしたものもあり、大好きな取材活動も含め、忙しい毎日でした。

「大学卒業とともに実家から出まして、世田谷に住み始めました。東京という巨大なエネルギーが渦巻く世界の中心でマスコミという仕事に従事し、アーティストに会ったり、誰よりも先に新しい音楽情報に出会えたりと、とても充実はしていましたね。」

しかし、福岡のFM局で、週末の生番組を受け持つことになってから、彼女の生活は多忙を極めるようになりました。毎週、東京と福岡を往復して、5時間にも及ぶ生放送を担当していた彼女は、いつしか心身ともに疲労困憊。ついには生放送中に倒れるという事態にまでなってしまったそうです。

「私自身、そのことにとてもショックを受けてしまいまして、しばらくはDJの仕事はお休みして実家に戻り、ライターの仕事は残しつつも、疲れを癒すことに専念しました。」

表からは見えない、そして決して見せてはいけない裏の苦労。一度回り始めた歯車は、個人では止められず、大きなエネルギーの渦の中で自分を見失いそうになる恐怖……。あふれんばかりの好奇心に導かれるままに突き進んできた彼女は、徐々にスローライフへも真剣に関心を寄せるようになっていました。

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