ハワイではフラはお稽古ごと。教室はダンススクール
日本の若手ダンサーを集めてのイベントは、他にない斬新なコンセプトと本格的なクォリティが魅力 |
「ハワイでは、わかりやすく言うと日本でピアノやお習字を習いに行く感覚で、子供にフラを習わせる親が多いようですね。ただ、外国人の受け入れについては、対応がマチマチなのと、人気のハラウでは、空きが出たら受け付ける、というところもありますので、リサーチなしでいきなり来たりするのはおすすめできません。」
お稽古ごととは言っても、手取り足取りステップから教えてくれるような世界ではなく、ただ皆の踊る姿を見ながら、まねをして覚えるレッスンのスタイルに、最初は面食らったハルヨさん。見学に来ていた頃は皆、気を使ってくれていたのに、いざ本格的に参加してレッスンが始まると、先生も厳しく、ましてや英語なので、何を言われているのかもわからなかったと。
レッスンについて来れないのなら辞めなさい、という雰囲気のなかで萎縮して、最初は質問もできなかったそうですが、負けず嫌いの性格でがむしゃらに努力をした結果、なんと半年後にはフラの最高峰「メリーモナーク」の選抜メンバーに抜擢されたのです! 長年習っていても出場できる人はひと握りだというのに、さすが実力の世界。外国人であろうと、秀でたものにはチャンスが与えられるというのはすばらしいですね。その後は4年連続でメンバーに選ばれ続け、貴重な晴れ舞台を体験していったのです。
ハワイで結婚。グリーンカードを取得
2005年夏のイベント「Live Aloha Live」会場にて。ハワイから訪れたガイドと記念の2ショット |
2002年の大会で優勝できたハルヨさんは、実はハラウを辞めることを考えていたようですが、直後に恩師であったパレカさんが急に他界され、恩返しの意味を込めて2003年の大会に臨まれたのでした。そして区切りの年にも優勝。ハラウで大会出場をめざすことを主体とした活動からは卒業して、自らの足で新たな道を歩き始めることになったのです。
その年に出版した著書「フラ・スピリット フラ&ハワイ50の話」(双葉社)には、彼女のフラに対する思いがたっぷりとこめられていました。
「私もただのハワイ好きが高じてフラにのめり込みましたが、こちらでフラを学ぶようになり、フラに対する考え方が日本よりももっとシンプルなんだなぁって実感しました。そんなことを何らかの形で日本のフラファンの皆さんにもお伝えできたらなあと思っていたんです。」
それからの彼女は、オリジナルのフラグッズを企画・制作して販売したり、日本の若いフラ愛好者を集めてライブ・イベントを毎年主催したり、ものすごい勢いで活躍を始めています。2005年は、ついに日本にスタジオを開いてレッスンを開始したり、ハワイで「サマー・キャンプ」と題したワークショップを開催したりもしています。
「フラがもっともっと芸術視され、ハワイや日本以外の国でも認められてほしいし、いずれはフラで独創的なミュージカルも創りたい。いつかはレッドカーペットの上を歩いて、○○賞受賞……なんて、真剣に企んでいますよ!」
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