ハワイのフラの世界で最高峰と言われる「メリーモナーク大会」で連続優勝しているチームで踊っている日本人女性がいる、という噂を耳にしたのが2002年初頭。その後、2002年、2003年の大会も続けて優勝し、噂の日本女性、ハルヨ・カセヤ・キャロルさんはコンペティションを卒業し、自らの道を歩き始めました。

書籍の執筆、雑誌取材のコーディネーション、自らのフラ・スタジオ運営、そしてイベント企画・運営など、幅広い分野で活躍するハルヨさん。とても大きな夢に向かってまい進する彼女にお話をうかがいました。

運命的なフラとの出会い

フラを踊るハルヨさん
天賦の才能がみごとに開花し、カリスマ性すら感じさせるハルヨさんのフラは、見る人を圧倒する
5歳の頃から10年間クラシック・バレエを習っていたというハルヨさんが、はじめてハワイを訪れたのは21歳の頃。観光で来た時にピンと来るものがあって、「将来、私はここに住むんだ」と感じたそうです。

その後は年に数回、お友達とハワイを旅し、どんどんハワイ好きの道をまっしぐら。26歳の時にはフラを習い始めることになりました。当時はまだあまり教室もなかったのですが、お稽古雑誌に出ていた自宅近くのスタジオで体験レッスン。「あ、これは私にピッタリ!と、ビビッと来たんですよね。」 この経験が彼女のその後の人生を変えていくことになりました。1995年、26歳の時のことです。

教室に通い始めて半年たった頃、スタジオの10周年記念講演があり、彼女が恩師として慕うことになった故パレカ・レイナアラ・マトスさん率いるハラウ(フラ教室)が来日してきました。本場でも指折り数えるほどの有名なハラウの踊りは、それまで見たどんなフラとも違い、鳥肌もの。注目される存在だったのか、パレカさんにも声をかけてもらい、ハルヨさんの中で、「ハワイに行って彼女たちと踊る」ことが、いつしか夢として確固たるものになっていったのです。


学生ビザで英語留学+フラ・レッスン体験

ハルヨ・カセヤ・キャロルさん
何かを達成した人の充実した笑顔はとても晴れやか。2003年に書籍を出版した際に撮影した写真
1997年頃からは、講師として教室で教える立場にもなったハルヨさん。日本人がたくさん出場することで有名なハワイの大会「キング・カメハメハ・フラ・フェスティバル」にも参加したりしていましたが、30歳を目前にした1999年、ついに移住を決意。
「ハワイに住んで、パレカ先生のハラウでフラを習いたい、という気持ちが募って、どうしたら実現できるのか、その方法を模索する毎日でした。」

リサーチの過程でつくづく思い知ったのが、何はなくとも英語ができなくては、人とのコミュニケーションもできず、生活自体がつらい。そこで、まずは語学留学という形で学生ビザで滞在しながら、空いている時間にフラのレッスンを受けるプランを立てました。

かろうじてハラウには参加できたものの、英語では苦労の毎日。アパート探しから車の購入など、実家育ちのハルヨさんには初めてのことばかりだったのですが、すべて英語でこなさねばならず、意思の疎通ができないことで、フラストレーションもたまったそうです。

「正直言って、英語に慣れてきたと言えるようになったのは、3~4年たった後のことですね。最初の数年は、本当に苦労の連続でした。」


次は大会出場決定、結婚、そして連続優勝を経験!>