「ダグラスDC-6B」作品集
1954年2月、日本の国際線第1号機が東京からサンフランシスコへ向けて飛び立ちました。使用された機材は「DC-6B」型機。それから50年にあたる2004年、上田さんは「DC-6B」を自らのコクピット・アートに甦らせました。「丸形の計器に、時代を感じさせる針。それらが実際のフライトでどんな動きをしていたのか、調べるのに苦労しましたね」と上田さん。このシリーズ作品には、JAL広報部に保存されているマニュアル類で50年前の計器を研究した成果なども丹念に描き込まれています。
【DC‐6B/Sanfrancisco Approach】 ホノルルからサンフランシスコへ。サンフランシスコ湾の海流は冷たく、海霧がゴールデンゲートを覆い始めました。初めての米国本土はもう目前! シスコの街のおぼろげな光をコクピットの窓に受けながら、じわじわと高度を下げていきます。
【DC‐6B/Sanfrancisco Take Off】 空港を飛び立つと、オレンジの宝石が眼下に広がります。最初のヒットポイントの無線局をめざして、機体は大きく左に旋回。はるか向こうに見えるのは、フライトエンジニアの運航訓練所があるナパの町。カリフォルニアの空での厳しい訓練を思い出します。
【DC‐6B/Diamondhead Take Off】 プロペラの振動が機内に響いています。ダイヤモンドを散りばめたようなホノルルの夜景。オアフ湾を照らす月光を背に浴びながら、機体はゆっくりと上昇・加速していきます。数時間先に待っているカリフォルニアのまぶしい光をめざして。
【DC‐6B/Sunrise Approach Honolulu】 オアフ島に太陽が昇り始めました。初めて遭遇するホノルル上空の朝焼けです。その光が、オーラル山脈に降りてきます。ハワイが日本人にとって最高の楽園となる記念すべきフライト。50年前の朝焼けも、いまと変わらず壮麗だったに違いありません。
「ダグラスDC‐8」作品集
JALの国際線運航の礎を築いてきたDC-6Bに代わり、その後の太平洋線に投入されたのが4発のジェットエンジンを装備した「DC-8」型機。社内が一丸となってさらなる路線拡張に取り組んでいた時代です。「その当時とまったく同じ時間背景を設定するよりも、むしろ一番ロマンチックな時間帯を中心に作品に仕上げました」と上田さん。今回掲載する作品は1点のみですが、あの哀愁あふれる香港・啓徳空港へのアプローチをお楽しみください。
【DC-8/Hong Kong Approach】 着陸に高度なテクニックを要する空港として知られた香港・啓徳空港。美しい夜景を見ながらバンク角30度でターンし、立ち並ぶ建物の上を通過し進入していきます。風に流されれば修正は難しく、着陸時のこれほどのスリルと迫力は他の空港では味わえません。
「YS-11」作品集
1962年の試作機飛行から44年。唯一の国産旅客機として活躍を続けてきた「YS-11」の完全退役が、いよいよこの秋に迫っています。かつては全国の空を飛んでいたYS-11ですが、現在はJALグループの日本エアコミューター(JAC)が運航する5機のみ。この惜しまれながら姿を消そうとしている日本の名機についても、上田さんは見事な作品にして記録に残しています。
【YS-11/Forever Kagoshima】 鹿児島はYS-11にとって、最後の活躍の拠点です。同機は日本エアーコミューターの基地であるこの地で、いよいよラストフライトを迎えることに。想い出の地・鹿児島に別れを告げ、桜島上空の夕焼けに消えていくYS-11は、どこか寂しげでもあります。
【YS-11/Goodbye Tokyo】 YS-11にとって忘れられないもう一つの場所が、旧羽田空港です。現在のビッグバードとは違う、あのノスタルジックな空の玄関口。当時に思いを馳せると、ついこう叫びたくなります──YS-11よ、東京上空にもう一度その雄姿を見せて欲しい!
【YS-11/Dream Flight】 飛行機も時代とともに進化する中、40年以上にもわたって飛び続けてきたYS‐11。過去には「SAMURAI」と称したYS‐11がブラジルの空で活躍したこともあります。私たちの心の中では、きっといつまでも飛び続けてくれることでしょう。アモーレ、YS‐11!
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