ネットエイジグループ代表取締役社長 西川 潔氏 |
2000年にネットバブルははじけてしまいましたが、堅実な経営をしていた企業は2005年の現在、 大成長を遂げているところも多くあります。2000年と2005年ではどこが異なるのでしょうか?
今回は、1999年のビットバレーの提唱者、そしてネットバブルを体感した西川社長に、 創業時期~ビットバレー前後~2005年を総括していただきました。また、西川社長は、 現在ネットビジネスのインキュベーターとしてもご活躍。起業家を育成、投資を行っている立場として、 2005年のネットビジネスについて現在注目している分野についてもお伺いします。
西川 潔さんプロフィール
KDD(現KDDI)勤務を経て、アーサー・D・リトルの米国本社勤務時に起業を志す。帰国後、 世界最大のインターネット企業、アメリカ・オンラインの日本法人の創立に参加。その経験・人脈を生かし、 1998年2月、ネットビジネスインキュベータ-という、日本初の業態をもってネットエイジを創業。 ネットエイジポートフォリオ企業4社の社外取締役を務める。 「渋谷ビットバレー構想」などに代表される起業家経済の活性化のための提唱をおこない、 講演・執筆多数。東京大学教養学部卒。
ネットビジネスの夜明け前の創業
ガイド:まず最初に、西川社長の創業時期とその時代背景についてお聞かせください。
西川:
私が創業したのが98年の2月で、楽天の三木谷さんが 創業したのが97年の2月。Yahoo! JAPAN が上場したのが97年の11月で、はやくも上場した会社があった時代ではありましたが、 ネットビジネスの黎明期、夜明け前という感じでしたね。
その当時は、ネットがビジネスになるぞ、とか上場するぞ、とか考えている人はほとんどいなくて、 なんか面白そうだ、ということで、考えるよりもさきにやってみた方が多かったですね。緻密な読みをして、 というよりは新しいネットワークができたので、これを使って何ができるか?ということを考えていました。 アメリカでもインターネットが商業化されたのが94年頃ですからね。そこから3~4年たった、というのが 私の創業した時代です。
ネットバブルは、株式市場におけるバブル
西川:その後ネットバブルが起こるのですが、それは実体のネットビジネスが虚構 のものだったというわけではなく、実は株式市場におけるバブルだったのです。 株価的に、理屈ではまったく理解できないような上昇があり、例えばYahoo! JAPAN の株などは1株1億円以上していましたからね。 しかし株価はバブルでも、インターネット、ネットワーク自体は逆に、 まだまだ普及の段階で、そもそもダイヤルアップの時代でしたから。98年、99年は、 インターネットへの期待感で株価だけが先に上がりすぎてしまったのです。
ガイド:
ちょうどそのころ、インターネットを活用したビジネスモデルがたくさん生み出されましたよね。 しかし、それらのほとんどは「集客モデル」で、その集客モデルからどうやってお金を生み出すか? という部分がごっそりぬけている、という話を経営コンサルタントの阪本啓一さんからうかがったことがあります。 「月と6ペンス」というサマセット・モームの小説のタイトルを引用したたとえも使われ、月=夢ももちろん大事だが、 6ペンス=収益モデルが大切だ、という指摘です。
私は、ライブドアの堀江社長や、 サイバーエージェントの藤田社長は、 その6ペンス、つまり集めたユーザーをどうやって収益に変えていくかの部分が優れているのだと思います。 それは基本的なことですが、会社は収益が上がってこそ存続するということをはっきりと認識されていたからだと 思います。
<つぎのページでは、ビットバレー構想、1年間の活動について語っていただきました!> |