
生きていればいろいろなことがあるものだし、それは誰でも同じこと。家族がいてもいなくても、全て自分の思い通りになる人生など、めったにないだろう。それでもその都度、自分で全てを決定して生きていかなければならないのだ。
息子が家を出てから、文句が多くなった妻
「昨年春、息子が希望していた大学に合格して家を離れました。息子には過保護気味だった妻は、『大丈夫かしら。寮でちゃんとやっていけてるのかしら』と心配ばかりしていた。でもあっという間に息子からの返信は滞るようになり、夏休みも数日帰ってきただけ。妻はまるで失恋したみたいに落ち込んでいましたね」
そう話すのはサトルさん(54歳)だ。1つ年下のユミさんと結婚して25年、社会人の娘と3人で暮らしている。
「物価高だし、息子は母親から離れて楽しそうだし、娘は元気に社会で活躍しているし、夫の僕も仕事が多忙。妻はパートに出たり、時々パート仲間と飲み会をしたり、学生時代の友達と旅行をしたりしていますが、それでも何か満たされないものがあるんでしょうね。テレビなどを観ながら、ぶつぶつと文句を言うことが増えたなと思ってはいたんです」
娘の言葉に激怒
つい先日も、食後にテレビを観ていると、同世代の女性タレントに対して「この人、老けたわねえ」としみじみ言う。あるいは「どうしてこんなに太ってるんだろ。醜いよね」など言いたい放題。そこへ帰ってきた娘がしばらく様子を見ながら、「お母さんって、最近、誰に対しても何に対しても文句ばかり言ってるよね」とあきれたように言った。
「言ってないわよと反論した妻に対して娘は、『この前もさ、どこそこのコロッケが小さくなったとか、おまんじゅうが小さくなったとか言ってたじゃない』と返した。『それは値段が変わらなくてもモノが小さくなれば実質値上げと一緒だという意味よ』と妻が言うと、娘は『それが嫌なら買わなきゃいいじゃない。だったら自分で作れば?』って。娘の言い方もキツいですが、言っていることは分からなくはない。文句を言っても始まらないということ。でもそれを聞いた妻は『あんたに私の苦労が分かるはずない』と叫んでいました」
娘は「怒らせちゃった」と肩をすくめていたが、「お母さん、やっぱりちょっと変だよね。ああいう人じゃなかった気がする」とつぶやいた。
更年期かもしれないから、お父さん、話を聞いてあげてと娘に言われてサトルさんは困惑したという。
「だまされた」と突然言い出した妻
更年期なんじゃないのと直接は言えない。そこでサトルさんは様子を見ながら、「調子はどう?」と妻に問い掛けてみた。「なにが?」と妻は不機嫌そうに言う。
「いや、あんまり元気じゃないのかなと思って。娘も心配してたからさと言うと、『変わりないわよ』と。妻は数日前に友達と飲み会をして楽しかったはずなのに、そういう楽しさは持続しないみたいで。一応、心をこめて『お互いに元気でいような』と言ったら、妻は小さくうなずいていましたが、僕としてはせっかく優しい言葉をかけたのになあとちょっと不満でした」
数日後、二人で夕食をとっていると、妻が突然、「やっぱり私、損したよね。だまされたんだよね」と言いだした。
8年ほど前、妻の両親が立て続けに亡くなった。妻はショックのあまり体調を崩して入院したほどだった。サトルさんは何も聞かなかったが、1年たったとき相続はどうなったのと軽い気持ちで聞いた。妻は「知らない」と答えた。
「どうやら妻は、父親が亡くなってすぐ相続放棄の書類にサインをしたようです。サインしたのかさせられたのかは分からないけど、当時、妻はそういう話を何もしていなかったし、それほど資産があるとも思わなかったからスルーしちゃったんですよね」
今さら相続はできないのに
ところがその後、兄一家は実家をリフォームして引っ越していった。どうやらある程度、まとまった預金などもあったらしい。
「親戚からそんな話を聞いた妻は、兄に問いただしたそうです。でも相続を放棄したじゃないかと言われてそれっきり。だまされた証拠もないのでどうしようもない。『あのとき、あなたがもうちょっと適切に動いてくれれば、私は損しなくて済んだのに』『いくらか分からないけど、遺産の半分をもらえれば私だってもっと楽になれたのに』と、ぐずぐず言いだしたんです。きみは何も言わなかった、何一つ相談もしてくれなかった、きみの親の件だから義兄さんときみとで話し合いをしているんだろうと思って僕は遠慮していたんだと言いました。そもそもそんな昔の話をしたってどうにもならないだろ。娘が言っていたようにきみは最近、文句が多すぎると、ついつい本音を言ってしまいました」
サトルさんも腹に据えかねていたのだ。帰宅してもニコリともしない妻の態度と、口を開けば愚痴と文句ばかりの日常に。
「それ以来、妻とはなんとなく緊張状態というか冷戦状態というか。娘が時々間を取り持とうとしてくれますが、妻は乗ってこない。体調が悪いわけでもなさそうなので静観していますが、これでいいのかなと思っています」
若く未来のある子どもたちに比べて老化していく自分、仕事で多忙な夫と誰にも必要とされていない自分、楽しそうに暮らしているパート仲間と気持ちが上向きにならない自分……。そうやって比較することで、人はどんどんつらくなっていく。やはり腹を割って話そうと、夫から歩み寄るしかないのかもしれない。病院を受診することを勧めてみてもいい。心配してくれる人がそばにいるだけで幸せなことだと、妻が早く分かってくれればいいのだが……。







