ボランティア/ボランティア関連情報

グリーンリボンを知っていますか?(2ページ目)

グリーンリボンを知っていますか? 移植医療普及のためのシンボルマークです。臓器移植法が制定されて10年。この機会に自分にも起きるかもしれないこととして、移植医療を考えてみませんか?

筑波 君枝

執筆者:筑波 君枝

ボランティアガイド

もし、家族が臓器提供の意思を持っていたら

普及活動
日本臓器移植ネットワークでは、各地で普及活動を行っています。©日本臓器移植ネットワーク
臓器移植は、非常に難しい問題です。脳死を人の死と認めることができるかどうか。日本人の、というよりも個人の生命観、倫理観、もっといえば成長する過程で生命に関してどんな教育を受けてきたかといったことにも関わってきます。

ガイドだったらと、考えてみます。自分が死を迎えるときに、臓器提供できるかどうかと考えると、心肺停止なら……と思いますが、脳死ではどうでしょう…? さらに、もしも家族が脳死後に臓器移植の意思を持っていたとしても、それに同意できるでしょうか? 正直、自信がありません。可能な限り意思を尊重したい、尊重すべきとは思います。でも、その家族が、もしわが子だったら、無理かもしれない……とも思います。

脳死とは、大脳も小脳も脳幹も働きがなくなってしまった状態です。二度と元に戻らず、人工呼吸器がないと自分で呼吸ができません。それでも数日後に心臓が止まってしまうのです。と、知識として理解しているつもりです。

でも、目の前にいる家族がと考えると躊躇するような気がします。それはやはり気持ちのどこかで、死とは心臓が停止したことを指し、脳死を人の死と受け止められない自分がいるからです。よく言われますが「まだ体があたたかい」家族の、そしてわが子の死を受け入れられるかどうか……自信がありません。

もし、わが子に移植が必要と宣告されたら

では、立場を変えて「もし私の家族が移植医療に頼らないと、治らない病気になったら」と考えるとどうでしょう。特にわが子が移植をしないと余命●ヵ月といった宣告をされたら……。傲慢さを承知のうえでいえば、1%でも可能性があればそれに希望を託してしまうでしょう……。なりふりかまわず、子どもの生を願う。それが親であるとも思います。

そう考えると、臓器の提供によって、新しい人生を始めることのできる人がいるのだと気づかされます。自分の死をあるいは家族の死を「悲しみ」だけで終わらせないですむことができるかもしれません。

移植医療という問題とどう向き合えばいいのか、それは自分が提供する側とされる側の両面から考えていかなければいけない問題なのです。そう考えると、なおさら、簡単に答えが出せませんね。

だからこそ、一度、きちんと考えてみませんか? 自分の臓器をというだけではなく、自分にも起きるかもしれないこととして、ご家族と一緒に移植医療を考えてみませんか? ガイド自身ももっと深く考えてみようと思っています。

臓器移植法が制定されて10年。移植ネットワークでは各地で普及活動を行っています。お近くで行われる際にのぞいてみてはいかがでしょうか。
詳しくは、日本臓器移植ネットワークにお問い合わせください。臓器提供をしたご家族の、そして受けた人たちの体験談を綴った資料も豊富です。一度、ぜひ読んで自分のこととして考えてみてください。


【ガイドから】
・ボランティアガイドのメルマガのご登録はお済みですか?こちらからご登録してくださいね。
・前回記事は「ママさんブラスに学ぶママサークルの作り方」です!
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます