セーターやトレーナーなどを数多く持って入っているのに、施設からたびたび洋服が足りないと連絡が来る。入所して3~4カ月、どうしてこんなに服がなくなるのか……。 毎回持っていっても認知症の母からは、一言のお礼もない。子どもは親の面倒をみなければいけないのか。自分も老後の貯金だけはしておかなければならない。子どもにお金の負担をさせたくない、などなど。
上原さんのブログにはさまざまなコメントが
これに対して、共感や慰めの声も寄せられてはいるが、なかには「あなたは育ててもらっている過程で、親に感謝の言葉をかけましたか?」「認知症なんだから仕方がない」など、冷たい声も少なくない。彼女自身、自分が親に対して冷たいのではないかと考えながらつづっているのは見てとれるので、コメントによってさらに彼女が追いつめられてしまうのではないかと思えてくる。「施設にいるならラクですよ。私は自宅で介護しています(していました)」という声もけっこうある。「それでも私は介護を楽しんでいました」「母には長生きしてもらいたかった」などと、あたかも上原さんを「甘い」と言いたげなコメントも。
だが、自宅介護だろうが施設だろうが、本人と親とのこれまでの関係が、介護では大きくものをいうのではないだろうか。仲よく見えても確執のある母娘もいるだろうし、そもそも子育てと異なり、親がこれから成長するわけではないから、介護には先が見えないつらさがある。
どんなに大変だと思っていても、「あなたはラクよ、私はもっと大変だった」と言われるのがオチだからこそ、彼女は「愚痴」とタイトルをつけたのだろう。自身のブログで愚痴さえこぼせない世の中のようである。
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義母の介護に疲弊する40代女性のため息
「子育てを愚痴っても共感してくれる人はそれなりにいます。でも介護は愚痴ると、冷たい娘だと思われる。私は今、義母を介護しているんです。ヘルパーさんに入ってもらっていますが、家計を考えると専業主婦ではいられない。介護しながらパートで仕事をして、子どもたちの面倒もほぼワンオペ。夫の母親なんだからと夫に愚痴ろうとしても、『悪い。仕事のことを考えているから聞いていられない』とつれなくされるし」ため息をつくのはマキコさん(40歳)だ。夫は6歳年上で、義母は70代後半。骨折して入院、退院後に認知症がひどくなった。家の中を歩くにも介助が必要なのに、時として杖を頼りに外に出て行ってしまうこともあるから目が離せない。
「そんな状態が1年近く続いていて、私は自分の自由な時間がまったくとれない。小学生の子どもが二人いるので、子どもたちにもっと時間を割きたい。しかもこの状態がいつまで続くかわからない。申し訳ないけど、自分の親でもないのにどうして私がここまで面倒を見なければいけないのかと思うことがあります」
実母に愚痴ったら……
ストレスがたまって、実母につい愚痴をこぼしたことがある。すると実母は慰めや励ましの言葉もなく、「今の時代、介護保険があるんだからまだマシよ。私が姑の世話をしていたころは保険もなく、誰も手伝ってもくれなかった。そんな中であんたたちを育てたんだから」と逆に恨み節を聞かされた。挙げ句、「あんたは意外と冷たいわね。私も介護が必要になったら、あんたに邪魔にされちゃうのかもね」と笑った。
「冗談で言ったんでしょうけど、その言葉を聞いて、母のときは絶対、介護なんてしまいと決めました。そもそも私と母は関係がよくなかった。父が亡くなったあと、兄一家に邪魔にされている母を見かねて、うちの近所に越してきたらと勧めたのに、どうして私の側に立ってくれないんだろうと思いました」
介護に向いている人、向いていない人
私の方が大変だった、今は介護保険があるのだからラクだろうと言う実母に、もし何かあったとしても、もともと不仲のマキコさんが寄り添っていけるはずもない。自分が苦労したからといって、娘に「あんたの方がラク」とは言い切れないのに、なぜか親は無遠慮にそういうことを言うものなのかもしれない。そもそも介護のプロがいるくらいなのだから、介護に向いている人と向いていない人がいるはずだ。向いていないのに「親への感謝が足りない」だの「子は親の面倒をみる義務がある」だのと他人に言われる筋合いはない。
「義母も施設に入ってもらいたいというのが私の本音ですが、年金が少なく、資産もないので経済的に難しくて……。寝たきりになったら考えてくれないと、私ももう限界だからと夫には伝えてあります」
育ち盛りの子どもたちとのコミュニケーションがとれなくなるくらいなら、経済的に難しくても施設を考えたい。マキコさんの心身の疲労はたまっていくばかりだ。