高齢者となったときに、生き生きと暮らせるようにするためには……
65歳定年後、ひきこもる父
「65歳で2度目の定年になった父は、当初『半年くらいゆっくりしたら、もう少しだけ仕事をしようと思うんだ』と元気な様子でした。定年になってすぐ、母とともに2週間ほどのヨーロッパ旅行へ。年金もそこそこあるし、これで一安心と思っていたら、1年後、母からSOSの電話があったんです」フミコさん(40歳)が1時間半ほどかかる実家に駆けつけると、ソファに沈み込むように座っている父がいた。父に「お父さん」と話しかけても、「おう」と答えるだけで表情に乏しい。1日中、ほとんど動かない、お父さんの面倒を見てばかりで私も気分が上がらない、挙げ句、お父さんが何もしてくれないから私ばかり家事をして腰を痛めたと、母はずっと文句を言い続けていた。それが3年前のこと。
父のうつ状態に引きずられるように……
「その後、地域の福祉と繋がって父の介護認定などしてもらったんですが、介護が必要というよりはメンタルの問題でしょうと言われてしまって……。すぐに病院に連れていったら、高齢者によくあるうつ状態だと」風呂に入らない、外に出かけない。挙げ句、それをなじる母との間で激しいケンカが繰り広げられる日々。
「どうせオレなんていないほうがいいんだろうとか、おまえは1度でもオレに感謝したことがあるかとか、かなりの暴言が飛び交っていました。母が怒ってゴミをぶちまけたりしたこともあり、近所からも異臭がすると通報されたり」
いったいどうしたのか、突然、そんなふうに父が変わってしまったのがフミコさんには信じられなかった。
母との定年旅行から帰った後、父は地域の自治体がやっているサークルに入ろうとしたらしい。母は長年、陶芸や書道をやっていたので、父も趣味を持とうとしたのだろう。母と同じサークルに入るのは母本人に拒否された。仕方なく、興味のあった将棋と卓球に参加したのだが、半年通ってもなじめなかったようだ。
「帰宅すると同じサークルの人の悪口を言っていたそうです。運営しているベテランたちが頭が悪いとか、将棋も書道も先生の教え方が下手だとか。そんなふうだからサークルでも浮いてしまったんでしょう。ある程度の地位までいったサラリーマンの悪い癖ですよね。当時の肩書きにすがっている」
それならやめればいいじゃないと母が言ったら、外に出なくなり、あてこすりのように母の家事に文句をつけた。そこから自分自身を追い込んでしまったのだろう。
メンタルクリニックにかかるようになって、父は少し落ち着いた。巻き込まれた母も心身の状態を崩しているので、月に何日かは母にフミコさんの自宅に来てもらったり、同じように家を離れている独身の妹のところに行ってもらったりしている。その間、父はひとり暮らしになるのだが、ひとりのほうが気持ちは安定しているようだ。
同世代の義母はとにかく元気
「生きている以上、いくつになっても人には目標や希望が必要なんだとつくづく思います。年だからあとは何も考えずにのんびり、なんて思っているとあっという間に『虚無』に取り込まれる。両親を見ているとつくづくそう感じますね」フミコさんの夫の母親は、70代半ば。後期高齢者の仲間入りをしたばかりだ。義父は亡くなり、ここ7年ほどはひとりで暮らしているが、とにかくエネルギッシュで元気なのだという。
「地方の都市部にいますが、地域のカラオケ大会で優勝したり、ジャズダンスを習ったり。最近、筋トレにはまっているらしい。ふと気づくと、ひとり旅に出ていることもあります。義姉一家が近くに住んでいるんですが、義姉も義母のスケジュールを把握できないと嘆いているくらい」
常に目標を持ち続ける大切さ
裕福なわけではない。年金が少ないため、今も週に3回はパートで働いている。一方でボランティアとして高齢者施設で手伝ってもいる。自分が高齢者なのにねとフミコさんは笑う。「義母には常に目標があるんですよ。今の目標は体脂肪率を減らすこと。今後はピアノを弾けるようになりたいそうです。80歳で発表会を開くと言っています。義母は自分がやりたいことを人にしゃべるんですよ。そうすると仲間ができたり共感してくれる人が出てきたりする。
今年もカラオケ大会で優勝したらしいんですが、そのときは義母のためにドレスを作ってくれる人がいた。その人のためにも優勝するんだと張り切って、有言実行となった。ドレスを作ってくれた人も注目されたようですから、いろいろな人間関係の輪が広がっていく。生き方がうまいなあといつも思っています」
自分の両親とはまったく違う。どちらが充実した生き方かは一目瞭然。フミコさんは自分自身も義母を目標に生きていきたいと力強く言った。
<参考>
・「令和6年版 厚生労働白書[概要]」