必要なときに手に入らないことも……深刻化する「薬不足」の背景にあるものは?
「薬は、あるのが当たり前」と思っていませんか? 筆者は、薬学の専門家として大学の研究室で認知症治療薬の開発研究にも取り組んでいますが、自己紹介をすると「早くいい薬を作ってください」と言われることがよくあります。期待されるのはうれしいことですが、一つの薬を発明するというのはそんなに簡単なものではありません。
また、薬局にいくと数えきれないほどの薬がずらりと並んでいるため、何か不調があるときは、いつでも薬が手に入ると感じるかもしれません。しかし、これは大きな誤解です。薬があるのは「奇跡」なのです。
いま起こっている「薬不足」の背景と、薬の存在価値について、分かりやすく解説したいと思います。
病院も薬がない? 想像以上に深刻な「薬不足」の実情
いま、日本では深刻な「薬不足」が起きているのをご存知でしょうか。コロナ禍に、薬局やドラッグストアの陳列棚から解熱剤がなくなる事態が発生したことを、覚えている方も少なくないでしょう。新型コロナウイルス感染症への不安から、「前もって解熱剤を買い込んでおこう」と考えた人が多いようです。これは消費者側の問題で、一時的に起こったことです。しかしその後、そうした「買い占め状態」がなくなったのにもかかわらず、解熱剤や咳止め(去痰薬)などが慢性的に不足している状態が、今も続いています。病院を受診し、薬局に処方箋を持っていったら、「すみませんが、こちらの薬はいま在庫切れです」と言われたという方も少なくないでしょう。
そして、深刻な薬不足は、病院の中でも起きています。外科手術に欠かせない局所麻酔薬や抗菌薬の不足のために、緊急を要しない手術の患者さんに、手術日を先延ばしにしてもらうケースも起きているのです。
医薬の先進国であるはずの日本で、どうしてこのようなことが起きているのでしょうか。また、この状況を改善するには、どうすればいいのでしょうか。
薬不足はなぜ起きたのか? 医療費削減の政策と、先発医薬品メーカーの窮状
いま起きている薬不足の要因はいろいろありますが、根本をたどると「ジェネリック医薬品を普及させる」という国の施策に行きつくのではないかと、筆者は薬の専門家として考えています。同じ一つの有効成分を含有した医薬品にも、先発品と後発(ジェネリック)品の2種類があり、ジェネリックのほうが値段が安く設定されています。日本には「国民皆保険制度」があり、病院の窓口や薬局で支払う薬の多くは、自己負担額1~3割ですみます。残りは、国民が支払った保険金などでまかなわれています。こうした健康保険制度はすばらしいものだと思いますが、運用されていくうちに、現在の日本の総薬代は年間10兆円に迫るような状況です。保険制度は近く破綻するのではないかともささやかれています。これを解決する方法の一つとして、同じ効果の薬なら、値段の高い先発品ではなく、できるだけ安いジェネリックを利用するように促そう、と国は考えたわけです。
薬を使う側からすれば、安いのはありがたいことですが、先発医薬品を製造・販売してきたメーカーにとっては、死活問題となります。「できるだけ先発品は使うな」というのと同義なわけですから、新しい薬をせっかく製造販売しても売れなくなり、在庫は増える一方になります。
経営破綻を避けるために、先発医薬品のメーカーは製造販売を中止するしかなくなりつつあるのです。古くから使用されてきてたくさんの人にとってなじみの深い多くの薬に、もはや先発品がなくジェネリックしかないのは、こうした事情を反映しているためです。
ジェネリック医薬品が売れても利益が出ない? 後発医薬品メーカーの窮状
では、ジェネリックを製造販売しているメーカーは、優先的な使用が推奨されていることで利益が上がっているのでしょうか? 実は、そうでもありません。日本における医薬品の単価(たとえば錠剤であれば一錠あたりの値段)は、一般に「薬価」と言われ、国が公的に定めています。国は医療費削減をさらに進めるために、定期的に薬価を見直しており、実質的にほとんどの薬がどんどん薬価を引き下げられる状態が続いています。発売当初はそこそこ利益を上げていた薬でも、価格の引き下げによって赤字を生み出す事態となれば、やはり同じように製造販売を中止せざるを得なくなります。また、たくさんのメーカーが違う名前で同じ薬のジェネリックを製造販売しているのなら、どこか一つのメーカーが撤退しても、他のメーカーがカバーしてくれるだろう、と思われるかもしれません。こちらも実は、そうはいかないのです。
たくさんの製薬メーカーが出している同じ薬の製品でも、その原末(有効成分である薬の本体)は、同じ化学薬品会社によって製造されていることが少なくありません。同じ化学薬品会社が作った薬の原末を、複数のジェネリック製造メーカーが仕入れ、それぞれの製品に加工して売り出しているのです。
このような流れの中で、大元となる化学薬品会社に問題が起こったり、経営状態が悪化して、薬の原末の製造をやめてしまえば、その薬を有効成分とするジェネリック製品すべてが作れなくなってしまいます。
企業の経営状態悪化に伴う悪循環……「薬の検査を省く」不正の発生も
事態はさらに深刻です。薬価の引き下げにより経営状態が悪化した会社では、何とか赤字を減らそうという思いから、本来は実施が義務付けられている「薬の検査」を省いてしまう不正も起こる状況になってしまいました。そして国から業務停止命令を受け、薬が製造できなくなりました。とくに、薬の原末をジェネリック製造メーカーに提供してきた化学薬品会社の不正があったことで、ある特定の薬については、ほとんどすべてジェネリックが供給されなくなるという事態になったのです。おまけに、このようなときに頼りになるはずの先発医薬品の製薬会社は、すでに撤退した後です。急に「やはり、もう一度製造販売してほしい」と要望されても、工場の生産ラインを改めて再開することは簡単ではありません。このような多くのことが起こり、現在の深刻な薬不足が起きているのです。
もちろん、「薬の検査」を省くという不正は、絶対にしてはいけないことです。しかし、その大元をたどると、「ジェネリック優遇」「薬価引き下げ」という施策によってもたらされた、悪循環の一つにも見えます。医療費の削減は必要なことですが、医薬品業界を苦しめるほどの無理な圧力は、改めた方がいいと筆者は考えています。
薬不足を解消するために……今私たちにできること
「薬不足」を根本的に解消するためには、国や製薬会社だけが努力すればいいというものではありません。恩恵を受けている私たち(患者自身)にもできることがあります。先日、ある知り合いからこんな声を聞きました。「私は持病があって病院からたくさん薬をもらっているのですが、あまり効きそうにないから、飲まなかった分はほとんど捨ててますよ」…… 私は非常に悲しくなりました。思わず「あなたみたいな人がいるから、薬不足が起きてしまうんですよ」と言ってしまいました。その人が捨てている薬は、薬を手に入れられなかった誰かが有効に利用したかった薬かもしれません。
薬はあって当たり前ではなく、非常に貴重なものであり、本当に必要な人のところに必要な時に届けられるべきです。しかし、医薬が進歩した我が国では、医師がやや余分とも言える処方をしてしまったり、患者が余った薬を使わずに捨てているケースが散見されます。そうした無駄をなくすことも大切なのではないでしょうか。
「くすり」という言葉の由来の一つに、「『奇(く)すしき力を発揮するもの』という意味から『くすり』と呼ばれるようになった」という説明が、出雲大社の古文書に残されています。「奇すしき」は「並みより優れている、突き出た、不思議な、神秘的な」という意味で、病を治してくれる不思議な力を持ったものが「くすり」ということです。病気のしくみが分からなかった時代には非常に貴重なもので、誰もが大切に扱っていたに違いありません。薬があることを決して「当たり前」と思わず、誰もがその貴重さに気づいて、行動することが求められています。
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