東日本大震災の被災地、福島県南相馬市小高区に移住し、カフェ「アオスバシ」を経営する森山貴士さんは、そう話します。小高区は避難指示が解除されるまで人の動きが止まっていました。しかしその地で今、新しいまちと文化をつくろうと、新規移住者や避難先から戻ってきた人たちによる“新しいビジネス”が始まっています。
今回は、南相馬市観光協会が主催する南相馬市サポーターツアー「南相馬のカフェの魅力に触れるツアー」(3月2~3日)で出会った“フロンティア精神”にあふれる人たちの取り組みをお届けします。
【前回の記事:「一度ゼロになったまち」でなぜ? 東日本大震災の被災地・南相馬市で今、“カフェ”が増えている理由】
無人駅に誕生した「醸造所」にびっくり
まちの中心であるJR常磐線小高駅。ここを舞台に新しい事業が始まっていました。2024年2月9日にプレオープンしたhaccoba(ハッコウバ) 小高駅舎醸造所&PUBLIC MARKETがそれです。haccobaは、2021年2月、東京から移住してきた佐藤太亮さんが小高区の民家をリノベーションして立ち上げました。日本酒の製法をベースにビールの原料のホップを入れるなどした新ジャンルのお酒を醸造しています。 その醸造所を駅ナカにつくろうというなかなか大胆な計画です。かつては駅員さんの仕事場だった場所をブルワリー(醸造所)、パブリックマーケット(物販エリア)、パブリックスペース(交流エリア)の3つに分けています。 パブリックマーケットにはhaccobaのお酒や福島のお土産などのほかに、この駅を最も頻繁に利用する地元の高校生がどんなものなら喜ぶかと考え、給食で人気だった懐かしい食品や文房具も並びます。 現在は無人駅となっている小高駅ですが、自由な発想でこれまでにない利用がされることで、地域の人たちの新しい交流の場になりそうな予感がします。何より、駅で電車を待っている間に、こんな空間があったら待ち時間が退屈しないで過ごせるのが本当にいいなと思いました。
東北に時計ブランドを創設し、時計産業をつくりたい
続いて小高駅近くの時計ブランド、Fukushima Watch Companyの店舗を訪ねました。埼玉県から移住してきた平岡雅康さんが2022年11月に小高区で創業し、店舗は2024年3月1日にオープンしたばかりです。これまではオンラインでの販売が中心でしたが、店舗ができたことで「ここで実際に手に取ってもらえるようになってうれしいです」と平岡さんは話します。店内には時計のほかに、福島県産の工芸品やオリジナル商品なども並びます。10代の頃から腕時計に魅せられてきたという平岡さん。腕時計好きが高じて20年以上、時計の商社などで働いてきました。そんな平岡さんが自身の時計ブランドを起業したきっかけは、東日本大震災の際に宮城県雄勝町へボランティアに出向いたことでした。
「雄勝の海を眺めながら復興ってどうすればいいんだろうと考えたんです。その地に仕事がないと人は戻ってきません。だったら、産業を興せばいいんだ!東北に時計産業を興そう!と考えました。時計にはいくつものパーツが必要なので、地域にも仕事をつくれるのではないかと思ったんです」
工場探しに悪戦苦闘……その結果、得られたもの
気さくな笑顔でニコニコと話してくれる平岡さんですが、個人で立ち上げた会社で時計づくりに必要なパーツの工場を見つけるのは本当に大変だったそう。しかし、まちの時計屋がほとんど姿を消していることを考えると、ここで新たな時計ブランドを立ち上げ多くの工場や職人とつながったことで、時計づくりの技を受け継ぐことができ、これからは時計産業自体にも貢献していきたいと話してくれました。 平岡さんは、南相馬市と親交の深いウクライナへのチャリティーモデルも製作しています。売上の20%がウクライナへ寄付されます。
鮮やかなブルーとイエローのウクライナ国旗がモチーフのユニセックスサイズ。少し派手に見えますが、意外にもどんなコーデにもしっくり合うそうです。ブルーとイエローの革ストラップには予備もついています。高級腕時計にも使われるステンレス素材(SUS316L)が採用されているクオーツ(電池式)時計です。
小高を唐辛子の産地にしてまちを元気にしたい!
南相馬市のショップや道の駅などで必ず見かけるのが「小高一味」や「小高ビーフカレー」です。それらをつくっているのが、廣畑裕子さんが立ち上げた小高工房です。小高産の唐辛子を使ったさまざまな商品を開発しています。 小高で生まれ育った廣畑さん。震災後は一時、市外に避難していましたが、2017年に小高工房を立ち上げ、小高を唐辛子の産地にしようと「小高唐辛子プロジェクト」を始めました。南相馬市はもともと唐辛子の産地ではありませんでした。ただ、農家の人たちが栽培した作物がことごとくハクビシンなどの動物に荒らされてしまうと嘆いていた中、唯一、唐辛子だけは獣害に遭わずきれいなまま残っていることに気付いたことが、このプロジェクトを立ち上げたきっかけだったそう。
「唐辛子が獣害に遭わないのなら、みんなで唐辛子をつくって、加工して商品にすればいいのではないかと思ったんです」
周囲の農家に協力を仰ぎ、唐辛子を栽培し、それを廣畑さんが商品化をしました。最初の商品は「小高一味」でしたが、新商品を開発しながらどんどん辛いものができてしまったと廣畑さんは笑います。商品のラインナップを見ると、種の部分を使った「小高一味 大辛 黄色」、辛味成分の胎座(ヘタ近くのワタの部分)を粉砕した「余計なことをしてしまった 小高一味 激辛 緑色」と、名前だけでも激辛ぶりを想像できる商品がずらり。
笑顔いっぱいのおおらかで優しい廣畑さんが、南相馬を元気にしたいというアツい思いを胸に、栽培から販売までを手がけています。
ツアーに参加して体感した“新しい何かが始まるワクワク感”
震災から13年たった2024年3月11日の小高は前年までと異なり、メディアの取材も少なく静かな1日だったそう。人々の関心が徐々に薄れつつあることの表れかもしれません。しかし、Fukushima Watch Companyの平岡さんは、それを見て小高はこれからだ!と思ったと言います。
「いよいよ小高は次のフェーズに入り、ここから新しいまちづくりが始まると確信しました! 浜通り一のオシャレなまちになっていくと思いますのでご期待ください」
そう話してくれた平岡さんのように、今回の取材を通して、筆者も「南相馬市でこれから新しい何かが始まるワクワク」を感じることができました。
2024年は元旦に「令和6年能登半島地震」が発生し、被災地の状況に胸を痛める日々が続いています。過疎化した地域が地震で壊滅的な被害を受けたことで、このまま再建できないのではないかという報道を目にすることもあります。
しかし、震災の影響で一時は市外へ避難し、住民がゼロになった地域もある福島県南相馬市で、多様な人たちが集まり、新しいまちと文化をつくろうとしている姿に接し、どんな状況でも前を向いている人たちが集まれば、新しい何かが動き出す。南相馬市に集まっているフロンティア精神にあふれる人たちは、能登半島地震など被災地復興の1つのモデルとなるのではないか。そんなことを考えた2日間でした。
※20歳未満の飲酒は禁止されています