慶応高校はご存じの通り、多くの卒業生を輩出している慶応義塾大学などを含む、慶応義塾系列の高校です。そんなことで、元慶応ボーイ&ガールたちがこぞって応援したことも盛り上がりの要因ではありましたが、慶応の都会的で自由な校風を象徴するようなチームカラーにも、人気の要因があったように思います。
甲子園球児は「坊主頭」であるべし?
そんなチームカラーを象徴するのが、一部で賛否両論が巻き起こった「選手の坊主頭ではない頭髪」ではないでしょうか。その論争を一言で説明すれば、同チームが髪の長さやスタイルを選手の自主性に任せていることで坊主頭が皆無となっていることに対して、「甲子園球児は坊主頭であるべし」と批判的な意見をぶつける人たちがいて、ネット上などで喧々諤々熱い議論が交わされていたというわけなのです。実はこの論争、単に髪の長さの問題にとどまるものではないというところに、ちょっと深みがあると個人的には見ています。その深みとは、次のようなことです。
「野球部は全員坊主頭」を命令として強制してしまうことは、ある意味で選手に有無を言わさぬ高圧的な姿勢であり、絶対的な主権が学校側、指導者側にあるわけです。対して、慶応高校のように「頭髪は各自の判断に任せる」というのは、「君たちが自ら考えて、やりたいようにやってみなさい」という、選択権を生徒に渡したフラットな状態にあると思うのです。
慶応高校野球部の森林貴彦監督は、自身の著書『Thinking Baseball~慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』(東洋館出版社)の中で、慶応高校のチーム作りの基本的な考え方について、以下のように語っています。
「(チーム運営において)必要最低限のことは報告、相談できる関係性や、選手側が言いやすい環境を作ることです。そのためには、指導者側と選手が上下関係にならないこと。そうなってしまうと、そこに現れるのは一方通行の伝達や命令で、選手は服従、従属するだけとなり、それを正常なコミュニケーションと呼ぶことはできません。旧来の高校野球の組織では、こうした一方的な伝達・命令が当たり前でしたが、これを双方向型に変えていくことが理想です。よりフラットな関係性を慶應義塾高校野球部では目指しています」(一部抜粋)。
まさに慶応高校野球部の坊主頭を強制しない「頭髪自由化」には、森林監督の実に深い考えが根底にあるのだということが分かります。さらにもうひとつ、森林監督は選手たちとのフラットな関係づくりを目指す考えからやってきたことがあります。
それは、選手たちから自身のことを「監督」と呼ばせずに、「森林さん」と“さん付け”で呼ばせていることです。それによって監督と選手の間の上下関係を極力なくし、選手自身が思ったことを思ったままに何でも話ができる、何でも相談できる環境を作り上げ、その積み重ねの結果、明るく自由な雰囲気の常勝のチームが出来上がったのだというのです。
森林監督のチームづくりは……
森林監督がやってきたことは、組織論的な観点から申し上げると、「心理的安全性が高い組織づくり」の実践であると言えます。「心理的安全性」とは、組織活動やチーム活動でメンバーの誰もがいつでも、率直な意見や素朴な疑問、違和感の指摘が気兼ねなくできる、という状態のことを言います。もちろん、それは皆が自分勝手な言動をしていいということではなく、一定のルールや規律は全員が意識し守った上でのことです。「心理的安全性」が高い組織ではそうでない組織に比べて、メンバー一人ひとりの居心地が良くなり、チームワークがとれやすく、結果として成果が上がりやすくなると言われています。ビジネス界でこの考え方をいち早く取り入れ広めたのがアメリカのIT企業Googleですが、彼らの経験に基づいた研究によれば、心理的に安全なチームは離職率が低く、収益性も高く、イノベーションやプロセス改善が起こりやすくなるとされているようです。
慶応ナインの躍進と心理的安全性の関係
このように考えると、どうやら慶応高校野球部の躍進には「心理的安全性」が高まったことによる効果が影響しているのではないか、と思えてくるのです。逆に、組織内で命令が間違っていると思っても従わざるを得ず大きな不祥事を繰り返したビッグモーターの一件や、周囲のマスメディアも含めて権力者の圧力を恐れて間違ったことに対して「見て見ぬふり」の連鎖が長年の性的犯罪隠ぺいの原因となったジャニーズ性加害問題などは、心理的安全性が損なわれたがために起きた不祥事であったとも言えそうです。ビジネスマンとしては、慶応高校野球部員の頭髪の問題を単に髪の長い短いだけの取り組み姿勢の是非に終わらせることなく、むしろその奥にある森林監督のチームづくりの精神にこそ、目を向けてほしいと思います。そして「心理的安全性」の大切さを知り、自らが属する組織やチームが「心理的安全性」の観点からどのような状況にあるのかを意識して、改善のきっかけづくりにしてみてはいかがでしょう。