ミシェル・ヨーがアジア人初のアカデミー賞主演女優賞を受賞したのはうれしい限りです。日本でも公開されたわけですが、ハマる人と全くハマらなかった人と評価が真っ二つに割れているようです。なぜでしょうか? というわけで『エブエブ』について考察してみようと思います。
<目次>
『エブエブ』とは
まだ『エブエブ』を見ていない方のためにサクッとストーリーを紹介します。エヴリン(ミシェル・ヨー)は疲れ果てていました。経営するコインランドリーには監査が入るわ、父の介護は大変だわ、娘のジョイ(ステファニー・スー)は反抗してくるわ、夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)は全く頼りないわで、最悪な気分。
ところが家族で出向いた国税庁で、夫が豹変してこう言うのです。
「僕は別の世界から来たウェイモンドだ。全宇宙にカオスをもたらす悪を倒せるのは君だけだ!」
するとエヴリンはマルチバースにジャンプ。そこには別世界で生きるエヴリンが!
マルチバースでは、カンフーの達人、凄腕シェフなど、さまざまなエヴリンが存在しており、現実世界のエヴリンは、別世界のエヴリンのスキルを得て、悪を倒すパワーを身に付けるのです!
では『エブエブ』の魅力をポイントごとに見ていきましょう。
ポイント1:メインキャストがアジア人のアメリカ映画
多様性の時代といわれてだいぶ経ちますが、それでもハリウッドでアジア出身の俳優が大きな役を得たり、アジア人がメインのキャラクターになるのは難しい。そこには人種の分厚い壁があったと思うのです。とはいえ、過去に何度も話題になった作品はあり、少しずつ扉は開いていきました。2000年、アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』(中国・香港・台湾・アメリカの合作)が話題に。『エブエブ』のミシェル・ヨーのほか、チョウ・ユンファ、チャン・チェン、チャン・ツィイーという中華系スターが共演していました。
2006年にはクリント・イーストウッド監督作『硫黄島からの手紙』(米国)が第79回アカデミー賞作品賞候補に。渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童という日本人俳優たちが出演していました。 そして韓国映画がついに最初の壁を破りました。
2019年、ポン・ジュノ監督の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(韓国)が第92回アカデミー賞作品賞、監督賞など4部門を受賞。続く2020年、韓国からアメリカンドリームを求めてやってきた移民の物語を描いた『ミナリ』(米国)が高評価を獲得。韓国女優のユン・ヨジョンが第93回アカデミー賞助演女優賞を受賞しました。2021年には日本映画『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞を受賞。 そしてその波に乗るように2022年『エブエブ』が映画界の話題を席巻。
アメリカ映画という強みはあるものの、これまでだったらB級映画として扱われていたタイプの映画が作品賞、監督賞だけでなく、脚本、編集、そして俳優部門でも、主演女優(ミシェル・ヨー)、助演男優(キー・ホイ・クァン)、助演女優(ジェイミー・リー・カーティス)が受賞する快挙。『パラサイト』は演技部門においては候補にも入らなかったので、『エブエブ』はその壁も跳ね除けたといってもいいでしょう。
ポイント2:「わけがわからない派」と「バカバカしいけどおもしろい派」
『エブエブ』は、エヴリンのマルチバース体験がものすごいスピードで展開していき、その目まぐるしさに「何これ、おもしろ~い」と乗れるか、「何が何だかわからない」と呆気にとられるか、おそらくどちらかに分かれるのではないかと思います。「おもしろい」と思える人は、B級映画的なキッチュな世界観やベタなコメディなどもおもしろがれるタイプ。下世話なネタがOKな人も結構楽しめるんじゃないかと思います。バカバカしさの中に、人間の愚かさ、かわいさ、愛おしさを感じられたらこの映画はOKなんです。
一方、あまり乗れなかった人は「わからない」から没入できなかったんだと思います。突然ミシェル・ヨーの指がソーセージになったり、「最強の変な行動」をしないとマルチバースにジャンプできなかったり、コントみたいですから。加えて、さまざまな世界の情報量が多くて「何これ」と思う人がいてもおかしくはありません。
もうひとつ言えるのは、「おもしろくなかった」という人は、アカデミー賞作品賞受賞やアメリカでの高評価の情報により、かなりハードルを上げた状態で観たはずです。期待度MAXで映画を見たら、そうでもなかったというのはありがち。どの映画でも起こることですが、『エブエブ』はそのギャップがとても大きい映画だったのではないでしょうか。
ポイント3:過去を振り返り、家族の姿に泣く
確かに情報量は多いし、おふざけもすごいんですが、この映画の中心にあるのは“家族”です。なにしろ、全宇宙に災いをもたらす悪、ジョブ・トゥパキの正体は、エヴリンの娘のジョイ。この物語の根底にあるのは親子の物語です。 マルチバースに飛ぶ前、エヴリンとジョイの親子関係は最悪でした。しかし、マルチバースでさまざまなパワーを習得したエヴリンは、ジョブ・トゥパキになった娘と闘いながら、かわいくて仕方がなかったジョイの幼少時代を思い出します。自分の腕の中にいた娘が成長し、自我に目覚め、大人の選択をして自分の人生を歩もうとしているのになぜ受け止めてあげないのかと。自分の思い通りに子どもが成長しなかったことを嘆くのは間違っている。子どもは親の所有物じゃないことにエヴリンは気づくのです。ここ、泣けるんですよ。
ポイント4:人気スタジオ「A24」の配給作品
『エブエブ』を配給したのはA24というインディーズ映画系の企業です。2012年に設立され、地道に作品をリリースしているうちに、低予算ながら良質な作品が評価を得られるように。ブリー・ラーソンに第88回アカデミー賞主演女優賞をもたらした『ルーム ROOM』(2016)、第89回アカデミー賞作品賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)を受賞した『ムーンライト』(2017)。そして『エブエブ』と同じ2022年、アカデミー賞主演男優賞を受賞したブレンダン・フレイザーの『ザ・ホエール』もA24の作品です。
『ザ・ホエール』 (C)2022 Palouse Rights LLC. All Rights Reserved.
ポイント5:キャストたちのハッピーな人柄
アカデミー賞授賞式の前に、重要賞である全米映画俳優組合賞、ゴールデングローブ賞の授賞式があり、ここでも『エブエブ』は大人気でした。スタッフ、キャストともに受賞を心から喜び、全身で表現。キー・ホイ・クァンは子役時代の出演作『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のスティーブン・スピルバーグ監督に感謝の言葉を述べたりして、とても感動的でした。ダニエルズ監督も含めて『エブエブ』チームは明るさ、団結力がとても良かったです。そもそも、アカデミー賞は映画製作に携わる人たちが選ぶ賞です。『エブエブ』チームのおもしろさ、ハッピーな人柄に加えて、ハリウッドのアジア人として役をつかむ苦労を重ねてきたミシェル・ヨー、人気スターの光と陰を経験したキー・ホイ・クァン。苦労人たちの夢の実現も『エブエブ』人気を後押ししたことでしょう。
まとめ
映画は好みが分かれるものですから、賛否両論あっても良いと思います。『エブエブ』がヘンテコな映画であることは間違いないです。でもコロナ禍で人々が戸惑い、悲しい思いや窮屈な思いをしてきた中で公開された作品というのも大きい。バカバカしいギャグを盛り込みつつ、混沌とした世界を猛烈なパワーで駆け抜け、家族へと帰結する本作。映画ファンを元気づけた映画であることは間違いありません。作品DATA
出演:ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・スー、ジェイミー・リー・カーティス、ジェームズ・ホンほか監督:ダニエルズ(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート)