切手収集家たちが大注目!
年の瀬も迫る中、年賀状の準備をと慌てる方も多いでしょう。この時期、切手収集家の間で話題になるのが来年の干支と関係の深い郵便局です。たとえば、「兎」の字の入る局としては兎川寺簡易郵便局(長野県松本市)や日立兎平郵便局(茨城県日立市)の2局があり、「菟」では宇治菟道郵便局(京都府宇治市)と菟田野郵便局(奈良県宇陀市)の2局があります。
また、動物のウサギと直接の関係はありませんが、「鵜」と「鷺」を合わせて「うさぎ」と読むことから注目を集めているのが鵜鷺郵便局(島根県出雲市)です。島根半島の西端に近く、山と海に囲まれた港町となっている鵜鷺地区にある郵便局なのですが、令和5年(卯年)の年始めを迎えるにあたって詳しく紹介したいと思います。
現在の鵜鷺郵便局舎(右)と先代の局舎(左)
鵜鷺地区は明治時代に成立
現在の鵜鷺という地名ができたのは、明治20年代のことです。それまで島根県神門郡には鷺浦と鵜峠(うど)浦という集落がありました。明治21年時点の大社町域の町村編成計画(島根県立図書館所蔵)によると、鷺浦が172戸766名、鵜峠浦は106戸671名とあり、明治22年4月1日に成立する鵜鷺村という新しい村名も記されています。もともと鷺浦と鵜峠浦の関係はあまり良好といえず、時として深刻な対立をはらむものでもありました。特に大きかったのは、寛延3年(1750年)から翌年にかけて続いた山境争論です。当時の出雲地方では灯油の消費が増えつつあったことから、鷺浦住民は生活維持のために実を絞って灯油をとるための油木の栽培に取り組んでおり、それが鷺浦と鵜峠浦の山境付近まで及んでいました。
ところが、山境を越えた土地利用をしていると判断した鵜峠浦住民は300本余りの油木を刈り捨てた上、松江藩に訴状を提出することになります。このときは鷺浦側が主張する山境を認める裁定が行われましたが、その後も山境をめぐる問題はくすぶり続けました。
しかしながら、明治22年に隠岐以外の島根県において市制・町村制が開始される中、鵜峠浦と鷺浦は統合されて鵜鷺(うさぎ)という地名が成立することになります。また、明治20年代から鵜峠鉱山・鷺鉱山で銅を産出するようになり、のんびりとした漁村も少しずつ産業の変化がみられるようになりました。
鵜鷺郵便局は大正時代の初めから
現在の鵜鷺郵便局の沿革をたどると、明治33年8月1日に開局した鷺浦郵便受取所までさかのぼることができます。ちょうどこの頃は明治33年10月1日に郵便法という新しい法律が施行されるなど、日本の郵便制度の近代化が進められていた時期にあたります。明治32年6月には鵜鷺地区でセメント原料の石膏を産出する鉱山が開発され、大阪商船の寄港地になるなど、地域経済が大きく発展した時期でもありました。鵜鷺郵便局とその周辺の様子
消印は「うさぎ」デザイン
鵜鷺郵便局は平日のみの営業ですが、窓口で「風景印でお願いします」と依頼すると、手紙や郵便はがきに名勝史跡や特産品等にちなむ特殊な消印を押してくれます。鵜鷺郵便局の風景印に描かれているのは鵜でも鷺でもなく、大きな1羽のウサギであり、どことなく懐かしい雰囲気のある味わい深いデザインとなっています。島根・鵜鷺郵便局の「風景印」はウサギが1羽
島根・鵜鷺郵便局の郵便貯金用「お宝印」
なお、鵜鷺地区の古社である伊奈西波岐神社には白兎神が合祀されていますので、こちらも併せて訪れたいスポットのひとつです。
※参考文献:『大社町史 中巻』(出雲市/発行、ぎょうせい/印刷、平成20年)
※鵜鷺地区の観光情報
【関連記事】
・実家で見つけたらラッキー「お宝」切手&年賀状ランキング!
・「謹賀新年」「迎春」とは? 賀詞の種類と意味、年賀状でやりがちなNG