三浦透子さん、小林薫さんとの共演で得たこと
――宮川監督は広島出身で、この映画に対する強い思いがあったのではないでしょうか? 監督とその辺のお話はされましたか?東出:宮川監督と食事した時に「なぜ物語の最初から、主人公が大切な人を失う物語を書こうと思ったのですか?」と聞いたんです。
監督は若い頃に親しい友人を亡くされ、その友人が生きて帰ってくる夢を見たそうです。友人のお母さんは「今でも子どものことが忘れられない」とおっしゃっていて、監督自身、友人のこともお母さんの言葉も忘れられず、そのお母さんに見てもらいたいと脚本を書いたと聞きました。
この作品に込めた監督の思いを聞いて、その思いを自分がしっかりと受け止めながらカメラの前に立とうという気持ちになりました。覚悟を決めて取り組んだ作品です。 ――憲二は家族を失った悲しみに加えて、足に障害が残り歩くことが少々困難です。いろいろなことを背負ってしまった役だと思ったのですが、この役作りも大変でしたか?
東出:できるだけ、撮影していない時でも憲二と同じような歩き方をしていました。彼は日常、散歩に行く時、漁に行く時も足を引きずって生活をしているので、身をもって体験しようと。24時間そうしていたわけではないけれど、一人の時はできるだけ、憲二に寄り添っていようと思っていました。
――三浦透子さん、小林薫さんとの共演について教えてください。
東出:三浦さんとの共演は初めてです。「僕たちは市井の人を演じるのに、ともすると『芸能人』なんて言われちゃう。普通に生きる、普通って何だろうね?」という話をしていました。彼女のお芝居は、それこそ「普通に」ペットボトルの水を飲んだりしていて「やっぱりすごい俳優だ」と思いました。
小林さんはすごくおおらかな方なのですが、芝居についてはとても綿密です。倒れるシーンの時、テーブルの湯呑みは倒しておこうとか、読んでいた新聞の位置はここがいいんじゃないかなど、監督と細かく打ち合わせをして本番に臨んでいました。自分のことだけではなく、周囲の状況までちゃんと見て芝居を作っていく姿を見て「さすがだな」と改めて思いました。
人の暖かさと優しさを感じた撮影
――広島に滞在しての撮影だったそうですが、印象に残ったことはありますか?東出:僕は瀬戸内海の島に行くのは初めてだったんです。とにかく風景が美しくて。この景色の中だからこそ、憲二や凛子が再生していく物語が成立したのではないかと思いました。
あと、取材で出会った漁師さんたちから、漁について教えていただけたことも良かったですね。その漁師さんたちが朗らかで本当にいい人たちで。「憲二はこういう人たちと仕事してきたんだな」とすごく参考になったし、やっぱり一緒に過ごしてみないとできない役作りはあると思いました。
――良い経験だったんですね!
東出:そうですね。あと、撮影スタッフもみんな温かくて良い空気の現場でした。豪雨シーンの撮影の時、とにかく現場が寒かったんです。スタッフの方が何度も「東出くん、大丈夫?」って言ってくれるのですが、僕はいつも「大丈夫!」って答えていたんですよ。大丈夫じゃないと言ったら、そこで心が折れてしまいそうだし、撮影が中断しちゃうかもしれないと思ったので。
でも撮影の後「東出くんは、今後、なんでも“大丈夫!”って言わないように」と注意されました(笑)。「あなたはいつでも大丈夫って言っていたけど、大丈夫じゃない時だってあるんだからね。ちゃんと言わなくちゃダメだよ」って。「そこまで心配してくれるんだ」と、うれしかったです(笑)。
――完成した映画をご覧になった感想は?
東出:自分が出演した映画は、すでに物語が分かっているので観客として楽しめないことが多いのですが、この映画は見終わった時、素直に「いい映画だ」と思いました。
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